オークショット『政治における合理主義』(18) 白黒思考
デカルトの
《いくたりもの棟梁(とうりょう)の手でいろいろと寄せ集められた仕事には、多くはただひとりで苦労したものに見られるほどの出来ばえは無い》(デカルト『方法序説』(岩波文庫)落合太郎訳、p. 22)
という心像は、百年余りの時を経て、米国建国の父の一人と称されるジョン・ジェイによってなぞられることとなった。
The Americans are
the first people whom Heaven has favoured with an opportunity of deliberating
upon, and choosing the forms of government under which they should live. All
other constitutions have derived their existence from violence or accidental
circumstances, and are therefore probably more distant from their perfection,
which, though beyond our reach, may nevertheless be approached under the
guidance of reason and experience. -- John Jay, Charge to the Grand Jury of Ulster County
(1777)
(米国人は、自分たちが暮らすべき政治形態を熟慮し、選択する機会を天が初めて与えてくれた人民である。他の全ての憲法は、暴力や偶発的な状況から生まれたものであり、したがって、手の届かぬものなれど、理性と経験の導きの下、近付くやもしれぬ完成の域に達したものからは懸け離れたものだ)――アルスター郡大陪審への告発
独立宣言は、合理主義の世紀(saeculum rationalisticum)の特徴的な産物である。それは、イデオロギーの助けを借りて解釈された知覚されるニーズの政治を表現している。そしてそれが、合理主義の政治の聖典の1つとなり、類似のフランス革命の文書と共に、その後の多くの社会の合理主義的再構成の冒険へのインスビレーションと範型となったのも、驚くにあたらない(オークショット『政治における合理主義』(勁草書房)嶋津格訳、p. 29)
英国の文化伝統を断ち切って独立を宣言した米国は、一から新たな社会作りを始めるという意味でまさに<合理主義>と同工異曲と称すべきものであった。
ヨーロッパ諸国の通常の政治実践は、合理主義の悪徳にとらわれてしまっており、(しばしばもっと近い他の原因のせいにされる)(同)
このことについてオークショットは後注で次のように書く。
それは例えば、戦争のせいにされる。戦争は、合理主義の社会がほとんど抵抗力を持っていない病であり、それは、合理主義的政治に内在する種類の能力欠陥から、簡単に発生する。しかし戦争は確かに、政治に対する合理主義的精神の支配を高める。だから、戦争の悲惨の1つは、今や慣行になっている、政治に対する本質的に合理主義的な用語の適用にあった。(同、p. 40)
事実、米国において、しばしば合理主義が「白黒思考」となって「戦争」を引き起こしてきたのである。
それの失敗の多くは、実際には、合理主義的性格が物事をコントロールする場合のその欠陥から生じるのであり、(合理主義的精神傾向は昨日今日発生したファッションではないから)我々は、苦境からの迅速な救済を期待してはならないのである。患者にとって、彼の病気はほとんど彼と同じくらい古く、その結果それを直ぐ治す治療法はない、と告げられるのは、常に気の滅入るものだが、(子供の時の感染症を除いて)普通はそうなのである。合理主義政治の出現を促進した環境が続く限り、我々の政治も合理主義的憤向をもつものと思わなければならないのである。(同、p. 29)
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