オークショット「自由の政治経済学」(4) 権力分散化

我々の社会における政府の振舞いも、権力の分有を含んでいる。それは公認の政府機関のあいだでだけではなく、政権担当者と野党とのあいだにおいてもいえる。要言すれば、我々が自分を自由であると考えるのは、社会のなかの誰も、いかなる指導者も、党派も、政党や「階級」も、いかなる多数者も、いかなる政府も、教会も、企業も、職能団体も、労働組合も、無制限の権力を認められていないという理由によるのである。その自由の秘密は、その最良のものの状態においては全体の特徴であるかの権力の分散が再生産されているような多くの組織から社会が成立っているということにある。(オークショット「自由の政治経済学」、p. 46)

 <権力の分散化>そして<権力の分有>が自由には不可欠だということである。

The history of institutions is often a history of deception and illusions; for their virtue depends on the ideas that produce and on the spirit that preserves them, and the form may remain unaltered when the substance has passed away. – Lord Acton, The History of Freedom in Antiquity

(制度の歴史は、しばしば欺瞞(ぎまん)と幻想の歴史である。というのは、制度の美徳は、それを生み出す思想と維持する精神に依存し、その形式は、実体が無くなっても変わらないままであるかもしれないからである)――アクトン卿「古(いにしえ)の自由の歴史」

その始まりにおいては権力の分散を促進していた制度が、時がたつにつれて、それ自身強力になりすぎ、あるいは絶対的にさえなってしまったのに、その始まりの性格に鑑(かんが)みれば相当であるような承認と忠誠を依然として要求する、といったことはしばしばある。自由を伸ばしていくためには、我々はかかる変化を認識できるほどに慧眼(けいがん)であらねばならないし、また悪を芽のうちに摘みとるほどに精力的でなければならない。(オークショット、同)

 例えば、人工林も植林の後、日光が地表に届くよう、下刈り、枝打ちなどの手入れを行うことが不可欠である。そのことによってしっかり根が張り、木は真っ直ぐに育つ。同様に、制度というものも作りっぱなしにせず、余計なものが繁茂して我々の目が届かないことがなく、自由の根がしっかりと張れるよう、絶えず手入れすることが大事なのである。

このような慧眼を保つのになによりも貢献するのは、ある制度に誤って永久的な性格を付与し、ついにその幻想性が明らかとなるや革命を要求するような融通のきかない気違いじみた教説から免れていることである。言うまでもなく、もっとも良い制度というのは、安定的であると同時に自己批判的な構造を持つ制度であって、それは与えられた権力断片の貯蔵庫としての性格を持ちながらしかし絶対主義への不可避的な誘惑を拒絶する。(同、pp. 46-47

 健全な制度とは、自省的かつ必要な変更に対して柔軟でなければならないということだ。

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