オークショット「歴史家の営為」(6)実践的態度

「歴史家」として現在普通に認められている人々の著述にのみ見出されるというものである以上、特殊に実践的でも科学的でも観照的でもなく、「歴史的」と呼ぶことが適切であるような、過去に対する態度を窺わせるものをその著述が提供しているかどうか、検討に値すると考えても大過あるまい。

(中略)

「歴史家」とは、自己の眼前にある世界の事象を既に起きた事象の証拠として理解するものである…「歴史家」が(常にでないにせよ)しばしば述べるような、過去についての言明の…第一の特徴は、その言明が事実に関しても欲求に関しても、過去を現在に同化するように設定されていないということである。つまり過去に向かうその態度は、私が実践的態度と呼んだものではない。(オークショット「歴史家の営為」(勁草書房)、pp. 179-180

 ここで<実践的態度>について振り返っておこう。

 実践者は過去を後向きに読む。彼は現在の営為に関係付けることのできる過去の事象だけに関心を抱き、それだけを認識する。彼は、自分の現在の世界を説明し、正当化し、あるいはそれをより棲みやすい、より不可解さの少ない場にするために過去を見る。その過去は、後続する事物の状態に寄与的か非寄与的か、あるいは望ましい事物の状態に友好的か敵対的か、と識別されるべき出来事からなっている。(同)

 オークショット言う<実践的態度>とは、優れて主観的なものだと思われる。ここには主観的判断が介在する。過去の世界の中から、自分に興味関心のある<事実>を取捨選択し、自分にとって都合がよい形で手に入れ、現在を装飾するのである。

庭師のように、実践者は過去の出来事の中に雑草と差し支(つか)えのない植物とを区別する。法律家のように、実践者は摘出子(ちゃくしゅつし)と非嫡出子とを区別する。もし彼が政治家であるなら、彼は自分の政治的偏好を支持するように見える過去のものは何であれ肯定し、それに敵対的なものは何であれ否定する。もし道徳家であるなら、彼は過去に道徳的構造を押し付けて、人の性格の中に徳と悪徳を、人間行為の中に善悪を区別し、前者を肯定し後者を非難する。

観点が広い視野を与えるなら、彼は事象のさらに深い動因の中に有害であるものと有益であるものを見分ける。彼の肩入れする事業計画に彼の行動が決定されているなら、過去はその事業計画に関連する事象や行為の衝突として現れる。要するに、実践者は現在を扱うように過去を扱う。過去の行為や人間に関して実践者が述べる傾向にある言明は、彼が関わっている現在の場面に関して述べる傾向にある言明と同じ種類のものなのである。(同、pp. 180-181

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