オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(3)道徳的活動のイディオム
オークショットは、
(道徳的活動の)イディオムは3つある(オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(勁草書房)、p. 302)
と言う。
第1に共同体の絆の道徳。第2に個性の道徳。第3に共通善の遺徳。
共同体の絆の道徳にあっては、人間は単に共同体のメンバーとしてしか認められず、あらゆる活動は共同体の活動として理解される。ここでは、自分で選択をすることができ、そうする傾向を持っている個々別々の個人なるものは知られていない。その理由は、彼らが抑圧されているからではなくて、そもそも彼らが現われてこられるような環境が存在しないからである。(同、pp. 302-303)
これは、「原始共同体」と呼ばれるような初期の共同体に関するものであろう。初期の共同体は、生産性が低く、一致協力し活動することでやっと生存することが出来た。「個人」などというものが出現する余力はなかった。
ここでは、よい行動は共同体の変わることのない活動に適切な仕方で参与することとして理解される。あたかもあらゆる選択はすでになされてしまったかのようであって、なされるべきことは、一般的な行動のルールの形ではなく、詳細な儀式の形で現われ、そこからの逸脱は極めて困難なのでそれに対する選択肢が見えないかのようである。なされるべきことはなされたことと区別できない。技芸は自然として現われる。それでもこれは道徳的行動のイディオムである。なぜならこの共同体の活動の仕方は、実際には技芸であって自然ではないのだから。だがそれは(むろん)計画の産物ではなく、無数の、忘れられて久しい選択の産物なのである。(同、p. 303)
生きるためには、成員が一致団結し活動しなければならない。共同体の掟には逆らえない。それは生存するための絶対的な活動の選択なのである。
個性の道徳においては、人間は(自分たち自身をこの性格の中に認めるに至ったために)個々別々の主権者たる個人として認められる。彼らは相互に結びつくが、それはただ一つの共通の事業に従うからではなく、ギブ・アンド・テイクの事業の中においてであり、できる限り互い同士に順応しようとする。それは自己と他の自己との道徳である。ここでは個人の選択が肝要であり、幸福の大きな部分はその行使と結びつけられる。道徳的行動はこれらの個人の間の確定した関係の中に存すると認められる。そして是認される行動は、人間の特徴であると解された独立した個性を反映するものである。道徳は相互の順応の技術なのである。(同、p. 303)
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