オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(22)ホッブズの個人と社会の混淆(こんこう)

人は誰でも正しくあるべき義務を持っており、そして(原則上)平和を求めること以外の義務を持っていない。要するに、義務は「自己矛盾的」でないという意味で「合理的」な性向や行為と同視される。(オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(勁草書房)、p. 319)

 <正しくあるべき義務>などと言ってみたところで、何が正しくて、何が正しくないのかが分からなければ、無意味である。

 また、前にも述べたが、<平和>は個人が求めるものではなく社会が求めるものである。<平和>とは、社会の安寧秩序が保たれている状態のことであって、個人的にどうのこうのするようなものではない。

 ホッブズは、人には<平和を求める義務>があると言う。おそらく、平和を求める個人が集まって<平和>が達成されるとでも思っているのであろう。が、いくら平和を求める人達が集まって「平和国家」を築いたとしても、隣国が好戦国家であれば平和が維持される保証はない。戦う意志がなければ、侵略されて終わりということになりかねない。

 或る意味、「平和憲法」を戴(いただ)く日本人には、<平和を求める義務>が課せられているのかもしれないが、建前はともかく本音において「平和憲法」を信じている日本人がどれだけいるのかは疑わしい。本当に信じているのであれば、憲法9条に反する「自衛隊」は存在し得ないに違いない。

★ ★ ★

 老悪魔は、自分のたくらみがうまく運ばないのをみてとると、タラカン王〈油虫王の意)のところへ行って、王にとり入った。

 「いかがでしょう」と彼は言った。「ひとつ戦争をしかけて、イワン王の国をとってしまおうではありませんか。あの国には金こそなけれ、穀物、家畜、その他なんでもありますから」

 タラカン王は戦争に出かけた。大きな軍隊をあつめ、鉄砲や大砲を用意して、国境へ兵を進め、イワン王国へ侵入しはじめた。

 人々はイワンのところへ来て、注進した――

 「タラカンの王さまが戦争をしかけて来ました」

 「そうか、よしよし」とイワンは言った。「いくらでもこさせるがよい」

 タラカン王は、軍隊を率いて国境を越え、まず斥候(せっこう)を出して、イワンの軍隊の様子をさぐらせた。斥候はほうぼうさがしまわったが、軍隊はどこにもいなかった。で、どこからか出てくるだろうと長いこと待ってみたが、軍隊についての噂すら聞こえず、戦おうにも戦う相手がなかった。タラカン王は、一隊をだして村を占領させた。いよいよ兵隊どもがある村へはいると――ばかな男とばかな女たちとが飛びだして来て、兵隊を見ると、呆気にとられたような顔をしている。兵隊どもが彼らから穀物や家畜を奪っても、ばかたちはとるにまかせて、だれひとり自分を守ろうとするものがない。兵隊どもはつぎの村へ行った――同じことである。兵隊どもは一日二日と進軍したが、どこまで行ってもかわりはなかった。なんでもさっさとさしだして、だれひとり自分を守ろうとするものはなく、かえって彼らに、自分たちのところへ来て暮らすようにと勧める始末。「なあ、おまえさんがた」と彼らは言うのである。「もしおまえさんたちの国で生活(くらし)に困るようなら、みんなわしらのほうへ引っ越して来て暮らしなさい」兵隊どもは、どんどん進軍をつづけたが、どこにも軍隊の姿は見えず、国民はみな働いて、自分やほかの人たちを養いながら暮らしており、自分を守ることは少しもせず、ただこちらへ来てお暮らしなさいとすすめるばかり。

 兵隊どもは退屈になってきたので、タラカン王のところへ来て、言った――

 「わたしたちは、戦争をすることができません、どうぞわたしたちを、ほかの国へお連れ下さい。戦争があるんなら結構ですが、これはいったいなんでしょう――まるでゼリーでも切るようなものです。ここではもう、このうえ戦争はできません」

 タラカン王は怒って兵隊どもに、それなら国じゅうを走りまわって村を荒らし、家や穀物を焼き、家畜を殺してしまえと命じた。

 「もしこのわたしの命令にそむこうものなら」と彼は言った。「おまえたちをみんな追放してしまうぞ」

 兵隊どもは驚いて、王の命令どおりにやりはじめた。家や穀物を焼き、家畜を殺しはじめた。が、ばかたちはただ泣くばかりで、だれも自分を守ろうとするものはない。老人たちも、老婆たちも、小さい子供たちも、だれも彼もみな泣くだけだった。

 「なんのために」と彼らは言うのだった。「おまえさんがたはわしらをいじめるのかね? なんのために、わしらのものを無駄にしてしまうんだね? もしおまえさんに入り用だというなら、みんな持って行って使ったらええだに」

 兵隊どもは悲しい気分になってしまった。彼らはもう前へは進まないで、間もなく八方へ逃げ散ってしまった。

(トルストイ民話集『イワンのばか』他8篇(岩波文庫)中村白葉訳、pp. 48-51

 勿論、こんなことは小説の中だけの話であって、現実は、攻め込まれて戦わねば、略奪され蹂躙(じゅうりん)されてお仕舞である。

コメント

このブログの人気の投稿

アダム・スミス「公平な観察者」について(18)impartial spectator

アダム・スミス「公平な観察者」について(32)fellow-feeling

バーク『フランス革命の省察』(33)騎士道精神