オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(26)法

 ホッブズによると、あらゆる道徳的義務は法から生まれる。法のないところには義務もなければ、正しい行動と不正な行動の区別もない。そして本当の意味での法のあるところ、それに従うべき十分な動機も存在するならば、その法の下にある人々はそれに従うべき義務がある。(オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(勁草書房)、p. 321

whatsoever is a law to a man, respecteth the will of another, and the declaration thereof. But a covenant is the declaration of a man’s own will. And therefore a law and a covenant differ; and though they be both obligatory, and a law obligeth no otherwise than by virtue of some covenant made by him who is subject thereunto, yet they oblige by several sorts of promises. For a covenant obligeth by promise of an action, or omission, especially named and limited; but a law bindeth by a promise of obedience in general, whereby the action to be done, or left undone, is referred to the determination of him, to whom the covenant is made. So that the difference between a covenant and a law, standeth thus: in simple covenants the action to be done, or not done, is first limited and made known, and then followeth the promise to do or not do; but in a law, the obligation to do or not to do, precedeth, and the declaration what is to be done, or not done, followeth after. -- Thomas Hobbes, THE ELEMENTS OF LAW: PART2: CHAPTER 10. Of the Nature and Kinds of Laws

(人間にとって法であるものは何であれ、他者の意志とその表明を尊重する。しかし、契約は自分自身の意志の表明である。したがって、法と契約は異なる。どちらも義務的であり、法はそれに従う者によって結ばれた何某(なにがし)かの契約によってしか義務を負わないけれども、それらは数種類の約束によって義務を負う。というのは、契約は、特に名指しされ限定された作為や不作為の約束によって義務を負うが、法は、一般的な服従の約束によって義務を負い、それによって、その作為がなされるべきかなされないままにしておくのかが、契約がなされた相手の判断に付託される。詰まり、契約と法の違いは次の如くになる。単純な契約では、行われるべき作為や行われない作為がまず限定されて知らされ、次に行うのか行わないかの約束が続くが、法は、行うか行わないかの義務が先にあり、何を行うか行わないかの表明が後に続くのである)――ホッブズ『法の原理』第2部 第10章「法の本質と種類について」

さて、本来の意味の法とは、「権利によって他の人々に命令する者のことばである」(とわれわれは語られる)。あるいは(もっと聖かな描写においては)、「法一般は命令である。だがどんな者からどんな者に対する命令でもよいのではなく、命令を出す者から、彼に従うことを前もって義務づけられている者への命令である。」そして本当の意味の立法者は、その命令に服することになる人々から、先行するこの権威を与えられるか、彼にはその権威があると認められるかすることによって、この権威を獲得した者である。というのは、「自分自身の何らかの行為から生まれない義務などというものは誰にとっても存在しない」からである。この授権あるいは承認という行為は、法を作る本物の権威の必要条件である。換言すれば、ホップズにとっては、「自然」な、誰から得たのでもない立法の権威などというものは存在しない。(オークショット、同、pp. 321-322

 ここで言う「法」とは、議会が立法するところのlegislation(制定法)ではなくlaw(慣習法)である。

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