オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(31)社会契約に道徳的義務の有るや無しや

ホッブズの中には…社会契約締結が(思慮ある行為である以外に)道徳的義務でもあると示唆しているところはほとんどない。そして「契約を守る」ということと「法に従う」ということは、区別できない活動である。またもし法に従うべき義務があるとすれば(実際あるのだが)、そこには契約を守り保護すべき推定上の義務が存在するのである。(オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(勁草書房)、pp. 325-326)

 オークショットは、次の部分を例外と指摘する。

From that law of Nature, by which we are obliged to transferre to another, such Rights, as being retained, hinder the peace of Mankind, there followeth a Third; which is this, That Men Performe Their Covenants Made: without which, Covenants are in vain, and but Empty words; and the Right of all men to all things remaining, wee are still in the condition of Warre. -- Thomas Hobbes, LEVIATHAN: PART 1: CHAPTER XV. OF OTHER LAWES OF NATURE: The Third Law Of Nature, Justice

(留保されていると人類の平和の妨げとなる権利は、他者に譲渡する義務を負う自然法から、もう一つのものが生まれる。それは、「結ばれた契約は実行すること」、これである。これがなければ、契約は無駄となり、空言に過ぎなくなる。すると万物に対する万人の権利は残り、私達は未だ戦争状態にあることになってしまう)――ホッブズ『リヴァイアサン』第1部 第15章 他の自然法について:第3の自然法、正義

しかし第2に、かりに一歩譲って、「契約を守る」義務が存在するためにはこの義務を課する法律があるはずであり、そしてこれは国法それ自体ではありえないとしても、この解釈によれば、そのような本当の意味での「他の」法律(すなわち、臣民による支配者の承認に基づいていない法律)はホップズの著作の中に見いだされない以上、ホップズにとっては契約を守るべき特別の義務は存在しなかった、と我々は結論を出さなければならない。(中略)

望ましい行為をすべて義務でもあると示さないからといって、ホップズの道徳理論にせよ他のいかなる道徳理論にせよ、欠陥があることになるわけではない。ホップズにとって義務は常に(直接間接に)平和を求めて努力する活動であり、そして平和を求めることが真に義務であるのは、それを命ずる法律があるときに限られている。

国家が設立されるような契約(あるいは承認行為)を行ってそれを守ることは、平和を求める努力の活動である。しかしもしこの点で、それらの活動が義務となる資格を持っているとしても、必然的に義務になるわけではない。またそれらが(それを命ずる法律がないために)義務でないとしても、それだからといって理解できなくなるわけではない。それはホップズにとっては(この解釈によると)、他の人々もそれを遂行するという条件の下では遂行が合理的で望ましい、思慮ある行為であるか、あるいは無条件に「高貴」な行為である。(同、p. 326

コメント

このブログの人気の投稿

ハイエク『隷属への道』(20) 金融政策 vs. 財政政策

バーク『フランス革命の省察』(33)騎士道精神

オルテガ『大衆の反逆』(10) 疑うことを知らぬ人達