オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(34)自然法適用の二面性

ホッブズにとって道徳的義務はすべて何らかの法律に起因していたことを認める。この説によると、真正の法のあるところには義務があり、法のないところには義務もないのである。従って、平和を求めて努力することが万人の義務であると示しうるのは、それを命ずる、有効で普遍的に適用される法律があるときだけである。

ここまではホッブズの考えたことについて深刻な意見の相違はありえないと私は考える。ところが今度は、ホッブズの見解によると自然法は単にそれが自然法であるというだけの理由で、この義務を万人に課する有効で普遍的で永久に効力のある法律である、と唱えられるのである。(オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(勁草書房)、pp. 328-329

ホッブズが自然法と呼んだものと彼が「平和の好都合な条項」と呼んだものとは内容上同一であり、それらは人間の生の保全についての理性の「示唆」あるいは結論である。このことはホッブズの解釈者なら誰でも認めている。だが今主張されているのは、ホッブズはそれらが本当の意味での法律であるとも信じていた、ということである。すなわちその創造者は知られており、彼は命令を下す先行する権利を獲得しており、法律は公布されて知られており、それらの法律の権威ある解釈があり、順法義務を負う人々はそうすべき十分な動機をもっている、というのである。そしてここから示唆される結論は、ホッブズにとって、平和を求めて努力することは自然法が万人に課した義務であって、それ以外に国家の法律や契約によって成立した命令に従うべき義務もあるかもしれないが、それはこの自然的な普遍的義務から派生したものだ、ということである。(同、p. 329

 ホッブズは、自然法を適用するにあたり、その二面性について次のように述べている。

The Lawes of Nature oblige In Foro Interno; that is to say, they bind to a desire they should take place: but In Foro Externo; that is, to the putting them in act, not alwayes. For he that should be modest, and tractable, and performe all he promises, in such time, and place, where no man els should do so, should but make himselfe a prey to others, and procure his own certain ruine, contrary to the ground of all Lawes of Nature, which tend to Natures preservation. And again, he that shall observe the same Lawes towards him, observes them not himselfe, seeketh not Peace, but War; & consequently the destruction of his Nature by Violence.-- Thomas Hobbes, LEVIATHAN: PART 1: CHAPTER XV. OF OTHER LAWES OF NATURE: The Lawes Of Nature Oblige In Conscience Alwayes

(自然法は、内部の法廷において義務付ける、すなわち、自然法は、それらが行われるべきだと欲するように拘束するのである。しかし、外面の法廷においては、すなわち、それらを実行するように必ずしも拘束しない。というのも、他の誰も謙虚、従順に振る舞わず、約束したことをすべて行うわけではないような時や場で、そうすることは、自然の維持に気を配るすべての自然法の根拠に反して、自らを他者の餌食にし、自分自身を確実に破滅させることになるからである。また、他者に自分に対して同じ法則を守らせる者が、自分ではそれを守らず、平和ではなく、戦争を求め、その結果、暴力によって自らの自然を破壊する)―ホッブズ『リヴァイアサン』第1部 第15章 他の自然法:自然法は常に良心において義務付ける

And whatsoever Lawes bind In Foro Interno, may be broken, not onely by a fact contrary to the Law but also by a fact according to it, in case a man think it contrary. For though his Action in this case, be according to the Law; which where the Obligation is In Foro Interno, is a breach. -- Ibid.

(そして、内部の法廷において拘束する法は何であれ、それが反すると考える場合には、法に反する事実によってだけでなく、法に従った事実によっても、破って構わない。というのは、この場合の彼の行動は、法律に従ったものであっても、義務が内部の法廷では、違反となるからである)

コメント

このブログの人気の投稿

ハイエク『隷属への道』(20) 金融政策 vs. 財政政策

バーク『フランス革命の省察』(33)騎士道精神

オルテガ『大衆の反逆』(10) 疑うことを知らぬ人達