オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(42)自然法には権威ある解釈が必要だ
実際に知られているのは平和を求めて努力する義務だが、それは神がこの義務を課する権限を持つことを間接の契約によって認めた人々に対して、神の実定法が課するものとして認められた場合に限られる。それは神の「預言」の言葉の中で、あるいは国家の実定法の中で、彼らに公布されたから、彼らに知られている。そして国家の中では、「預言」と主権者の命令とは区別できない。というのも国家の主権者は「神の預言者」だからである。
本当の意味での法の第3の特徴は、その意味の「権威ある解釈」が存在するということである。そして神から教示を受け、臣従者たちから承認された国家の主権者や「預言者」のような、何らかの承認された実定的な権威が解釈を供給しないならば、自然法は権威ある解釈を明らかに欠いている。神自らは聖書の「言葉」の解釈者になれないのと全く同じように、神は自然法の解釈者にはなれない。要するにホッブズにとっては、「自然的な」あるいは「契約によらない」ものであると同時に「権威ある」ような、自然法の解釈者や解釈はありえないのである。(オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(勁草書房)、pp. 335-336)
if it be a Law that obliges all the Subjects without exception, and is not written, nor otherwise published in such places as they may take notice thereof, it is a Law of Nature. For whatsoever men are to take knowledge of for Law, not upon other mens words, but every one from his own reason, must be such as is agreeable to the reason of all men; which no Law can be, but the Law of Nature. The Lawes of Nature therefore need not any publishing, nor Proclamation; as being contained in this one Sentence, approved by all the world, “Do not that to another, which thou thinkest unreasonable to be done by another to thy selfe.” -- Thomas Hobbes, LEVIATHAN: PART II. CHAPTER XXVI. OF CIVILL LAWES
(例外なく全ての臣民を義務付けるが、成文化されておらず、臣民が気付くような場所で公表されていない法であれば、それは自然法である。というのは、他人の言葉によってではなく、あらゆる人が自分の理性によって法として知るものは何であれ、すべての人の理性に合うはずだし、それは自然法に他ならない。したがって、自然法は、公表や宣言を何ら必要としない。全世界が承認した次の一文に含まれている。「他人からなされることが自分にとって理不尽だと思うことは、他人にしてはならない」)ホッブズ『リヴァイアサン』第2部 第26章 民法について
自然法は不文法である。だから、誰かが解釈を施さねば、自然法を一般化することは出来ない。実定法にも「権威」が必要とされるように、自然法の解釈にも「権威」が必要である。詰まり、「権威ある解釈」がなければ、臣民を縛ることは出来ないということである。
All Laws, written, and unwritten, have need of Interpretation. The unwritten Law of Nature, though it be easy to such, as without partiality, and passion, make use of their naturall reason, and therefore leaves the violators thereof without excuse; yet considering there be very few, perhaps none, that in some cases are not blinded by self love, or some other passion, it is now become of all Laws the most obscure; and has consequently the greatest need of able Interpreters. – Ibid.
(すべての法は、成文であれ不文であれ、解釈が必要である。不文の自然法は、依怙贔屓(えこひいき)や激情がなく、自然の理性を利用するような人には簡単であるから、違反者は言い訳できない。けれども、何らかの場合に、自己愛などの情熱によって目がくらまない人はほとんどいない、おそらく誰もいないことを考えれば、今やすべての法律の中で最も不明瞭ということになり、結果的に、有能な通訳が一番必要となるのである)
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