オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(49)ホッブズ vs. オークショット

The OFFICE of the Soveraign, (be it a Monarch, or an Assembly,) consisteth in the end, for which he was trusted with the Soveraign Power, namely the procuration of the Safety of The People; to which he is obliged by the Law of Nature, and to render an account thereof to God, the Author of that Law, and to none but him. -- Thomas Hobbes, LEVIATHAN: PART 2. CHAPTER XXX. OF THE OFFICE OF THE SOVERAIGN REPRESENTATIVE

((君主であれ議会であれ)主権者の職務は、主権を信託された目的、すなわち人民の安全を獲得することにある。主権者は自然法によってその義務を負い、その法の創造者の神に、そして神だけに、それについて説明する義務が課せられている)―ホッブズ『リヴァイアサン』第2部 第30章 主権を有(も)つ代表者の職務

 が、オークショットは、このホッブズの考え方に異議を唱える。

しかし彼の言うところでは(そして他の数多い難点を別にしても)、それはせいぜい人間の行動についての摂理を信じている人のクラスに属する主権者にしかあてはまらない。このクラスは(ホッブズの著作の中では)キリスト教徒のクラスと区別することは極めて難しい。(オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(勁草書房)、p. 340

 が、ホッブズは次のように言っている。

《神は、自らの法を3つの方法で示す。自然理性の指示、啓示、そして奇跡の作用によって他者との信用を得たある人の声によって。ここから3つの神の言葉が生まれる。理性的な言葉、感覚的な言葉、預言的な言葉である。これには、3つの聞き方が対応する。正しい理性、超自然的な感覚、信仰である》(ホッブズ『リヴァイアサン』第2部 第31章 自然による神の王国について

 詰まり、この問題は、<信仰>の次元だけで考えるべきではないと思われるのである。「理性・感覚・信仰」の3要素を整序し、理解すべき問題ではないかということである。

彼は「神の自然的王国」と彼の「自然的臣民」との区別を効果的に利用する一方では、「王国」と「臣民」という言葉は「契約」という「工夫(artifice)」がないための比喩的表現にすぎないと言う。(オークショット、同、p. 341

That the condition of meer Nature, that is to say, of absolute Liberty, such as is theirs, that neither are Soveraigns, nor Subjects, is Anarchy, and the condition of Warre: That the Praecepts, by which men are guided to avoyd that condition, are the Lawes of Nature: That a Common-wealth, without Soveraign Power, is but a word, without substance, and cannot stand: That Subjects owe to Soveraigns, simple Obedience, in all things, wherein their obedience is not repugnant to the Lawes of God, I have sufficiently proved, in that which I have already written. – Hobbs, Ibid. CHAPTER XXXI. OF THE KINGDOME OF GOD BY NATURE

(全くの自然、すなわち、人々が主権者でも臣民でもないような絶対的な自由の状態は、無政府状態であり、戦争状態であるということ、人がその状態を避けるために導かれる教えは、自然法であるということ、主権を持たないコモンウェルスは、実体のない言葉に過ぎず、成立し得ないということ、臣民は、服従が神の法と矛盾しない限り、万事において主権者に単純に服従すべきことを、私はすでに書き記したものの中で十分に立証した)―ホッブズ、同、第31章 自然による神の王国について

 主権を持たないコモンウェルスは、<実体のない言葉>に過ぎないということ、言い換えれば、観念的で抽象的な世界に属するものだということである。【続】

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