オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(50)神の王国

Whether men will or not, they must be subject alwayes to the Divine Power. By denying the Existence, or Providence of God, men may shake off their Ease, but not their Yoke. But to call this Power of God, which extendeth it selfe not onely to Man, but also to Beasts, and Plants, and Bodies inanimate, by the name of Kingdome, is but a metaphoricall use of the word. For he onely is properly said to Raigne, that governs his Subjects, by his Word, and by promise of Rewards to those that obey it, and by threatning them with Punishment that obey it not.–- Thomas Hobbes, LEVIATHAN: PART 2. CHAPTER XXXI. OF THE KINGDOME OF GOD BY NATURE

(望むと望まざるとにかかわらず、人は常に神の力に従わねばならない。神の存在や摂理を否定することによって、安楽は振り払えても、その軛(くびき)からは逃れられない。しかし、人間だけでなく、獣や植物や無生物体にも及ぶこの神の力を王国の名で呼ぶのは、この言葉を比喩的に使っているに過ぎない。というのは、自らの言葉によって、即ち、その言葉に従う者には報酬を約束し、従わない者には罰で脅すことによって、臣民を統治する者だけが、君臨すると呼ぶに相応しいからである)―ホッブズ『リヴァイアサン』第2部 第31章 自然による神の王国について

Subjects therefore in the Kingdome of God, are not Bodies Inanimate, nor creatures Irrationall; because they understand no Precepts as his: Nor Atheists; nor they that believe not that God has any care of the actions of mankind; because they acknowledge no Word for his, nor have hope of his rewards, or fear of his threatnings.They therefore that believe there is a God that governeth the world, and hath given Praecepts, and propounded Rewards, and Punishments to Mankind, are Gods Subjects; all the rest, are to be understood as Enemies. -- Ibid.

(したがって、神の王国の臣民は、無生物体でもなく、訳の分からぬ生き物でもない。なぜなら、神の戒律を理解できないからである。無神論者でもなく、神が人間の行為を心配することを信じない者でもない。なぜなら、神の言葉を認めず、神の報酬を望みもせず、神の脅威を恐れもしないからである。したがって、世界を支配し、人間に戒律を与え、報酬と罰を提起する神が存在すると信じる者は、神の臣民であり、それ以外のすべては敵と理解されるべきである)

 「神の力」を政治の世界に落とし込み、これを比喩的に「神の王国」と称しているということである。王国には、治者と被治者が存在し、そこには被治者が守るべき決まりとしての「法」がある。

彼は「異教徒の間のコモンウェルスの最初の創造者と立法者たち」(彼らは国家への服従と平和を促進するために、その臣民たちが国法は神の裁可を受けていると信ずるように励ます)と、(古代ユダヤ人たちの間におけるように)「神自ら」が契約によって王国を建設したと言われる状況とを区別する。しかし彼は、自分が神と人間の想像力について言ったことのすべては「神自ら」という表現を無意味にしていることを無視している。神は、そうであると信じられ、あるいは「夢見られ」ているところのものであり、行うと信じられ、あるいは「夢見られ」ているところのものを行うのである。(オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(勁草書房)、p. 341

the first Founders, and Legislators of Common-wealths amongst the Gentiles, whose ends were only to keep the people in obedience, and peace, have in all places taken care; First, to imprint in their minds a beliefe, that those precepts which they gave concerning Religion, might not be thought to proceed from their own device, but from the dictates of some God, or other Spirit; or else that they themselves were of a higher nature than mere mortalls, that their Lawes might the more easily be received – Ibid., PART 1. CHAPTER XII. OF RELIGION  

(異邦人の間でコモンウェルスを最初に創設し、立法した者達は、目的が人民を服従と平和に置き続けることだけだったが、全ての場所で気を付けたことは、先ず、宗教に関して与えた戒律が、彼ら自身の工夫からではなく、神や霊といったものの命令から生じたと思われるということ、あるいは、彼らの法律がより受け入れられ易くなるように、彼ら自身が単なる人間よりも高い性質を有しているということを彼らの心に刻み付けることであった)―同、第1部 第12章 宗教について 【続】

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