オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(52)誇りの二面性
ホップズは争いを引き起こす3つの重要な情念の1つを表わすために、時々「誇り」という言葉を悪い意味で使った。(オークショット「ホッブズの著作における道徳的生」(勁草書房)、p. 346)
Pride, subjecteth a man to Anger, the excesse whereof, is the Madnesse called RAGE, and FURY. -- Thomas Hobbes, LEVIATHAN: PART 1. CHAPTER VIII.
(誇りは、人を怒りの支配下に置き、度を超すと、激怒や憤慨と呼ばれる狂気となる)―ホッブズ『リヴァイアサン』第1部 第8章
the Lawes of
Nature (as Justice, Equity, Modesty, Mercy, and (in summe) Doing To Others, As
Wee Would Be Done To,) if themselves, without the terrour of some Power, to
cause them to be observed, are contrary to our naturall Passions, that carry us
to Partiality, Pride, Revenge, and the like. And Covenants, without the Sword,
are but Words, and of no strength to secure a man at all. – Ibid., Part 2, CHAPTER
XVII.
(自然法(正義、公平、謙虚、慈悲、(要するに)自分達がされたいように、他人にもすること)は、もしそれらを守らせる何らかの力の脅威がなければ、私たちを偏愛、誇り、復讐などに駆り立てる自然の衝動に反する。また、剣のない契約は、言葉に過ぎず、人を守る力はまったくない)―第2部 第17章
Hitherto I have
set forth the nature of Man, (whose Pride and other Passions have compelled him
to submit himselfe to Government – Ibid., CHAPTER XXVIII.
(これまで私は、人間の性質(その誇りなどの情熱が、自らを政府に服従させざるを得なかった)を述べてきた)―同、第28章
しかし彼はそれ(=誇り)を、寛大さや勇気や高貴さや度量の大きさや栄光を求める努力と同視もした。そして彼は誇りを「自惚(うぬぼ)れ」と区別した。後者の方は幸福を得る可能性もないのに幻想と争いをもたらすから、常に悪徳である。
要するに、(道徳・政治神学のアウグスティヌス的伝統から「誇り」の観念を引き継いだ)ホップズは、この言葉が持つ二重の意味を認めたのである。その伝統の中では、「誇り」は神に似ようとする情念である。しかしこれは自分を神の位置につけようとする努力にもなれば、神をまねようとする努力にもなることが認められていた。前者は人を誤らせる傲慢である。そこでは自分を万能であると信ずるサタン的な自己愛が、あらゆる情念の最終的な源であるばかりでなく、唯一の有効な動機でもあり、行動は自己を人々と事物の世界に押しつけることになる。(オークショット、同)
アリストテレスは、「誇り」について次のように述べる。
Pride seems even from its name to be concerned with great things; what sort of great things, is the first question we must try to answer. It makes no difference whether we consider the state of character or the man characterized by it. Now the man is thought to be proud who thinks himself worthy of great things, being worthy of them; for he who does so beyond his deserts is a fool, but no virtuous man is foolish or silly. The proud man, then, is the man we have described. For he who is worthy of little and thinks himself worthy of little is temperate, but not proud -- Aristotle, Nicomachean Ethics, Book 4, Chapter 3
(誇りは、その名前からして、大事に関係していると思われるが、どのような大事なのかが、我々が答えるべき第1の問題である。性格の状態を考えても、それによって特徴付けられる人物を考えても違いはない。さて、自分が大事に相応しいと考え、事実大事に相応しい人は、誇り高いと考えられる。というのは、自分の身の丈以上のことをする者は馬鹿者であるが、徳のある人は馬鹿でも愚かでもないからである。延いては、誇り高き人は、これまで述べてきた人である。というのは、少ししか価値がなく、自分が少ししか価値がないと思っている人は、節度があり、誇り高くはないからである)―アリストテレス『二コマコス倫理学』第4巻 第3章
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