オークショット「大学にふさわしい『政治学』教育について」(11)政治における「職業」教育
確かにこれは、学校で従来教えられてきた「公民学」の特徴であったし、現在の学校教育が「現代社会」として受けついだものの特徴なのである。すなわち、現在の政府の仕組とそれに関する基本制度及び慣習、更にそれと結びついた基本的信条についての入門である。
おそらくそれは退屈な授業であり、市長の職務や下院の機能やケネディ、フルシチョフ、カストロの演説などの無味乾燥な文章であり、ギリシャ語の不規則動詞をおぼえるのとは達って、よりよい成果が約束されることもない。にもかかわらず、政治学は我々すべてに関わることであり、また経済学や歴史学などの他の学校科目が必要なのと同様それが必要であるのであるから、政治学が学校教育の一部をなすと擁護することができる。(オークショット「大学にふさわしい『政治学』教育について」、pp. 377-378)
At least it is something to modify the mystery of the world as it appears in the newspapers, and it entails nothing to prohibit a more profound interest in public affairs such as occasionally (along with county cricket, space travel and church brasses) makes its appearance among school-boys. The interest it serves is an interest in public affairs. -- Michael Oakeshott, The study of ‘politics’ in a university: TWO
(少なくとも、それ(=政治学)は、世界の謎を、それが新聞に掲載されても、修正するものであり、小学生の間で時折(郡部クリケット、宇宙旅行、教会の真鍮(しんちゅう)と共に)登場するような公共問題への関心をより深めることに何ら妨げとはならない。政治学が提供する関心は、公共問題への関心である)―オークショット『大学における「政治」の研究』:第2章
Nor, I think, is there any greater difficulty in determining the character of what may be called a professional or 'vocational' education in politics, that is, an education designed specifically for those who are called upon or who wish to engage in political activity. – Ibid.
(また、政治における「職業」教育と呼ばれるかもしれないもの、すなわち、政治活動に従事することを求められたり希望したりする人々のために特別に設計された教育の特徴を示すことは造作も無いことだと思われる)
ここで私が用いている意味での「職業」教育は次の3つの一般的条件が満たされれば生じうるし、また事実何らかの形で生じている。
第1に、現代生活が一般に必要とする或る具体的な技術が存在せねばならない。
第2に、この技術に関して教えられうる何かが存在せねばならない。もっともこの技術は、それに熟練するためには型どおりにはゆかない修練を必要とするかもしれないが。
また第3に、この技術を行使しようと欲し、そのためにそれを学ぼうと欲する人々が存在せねばならない。
そしておそらく、政治活動、すなわち統治手段に関する活動とみなされうるものに関してはこれらの条件はすべて満たされていると想定されうる。
政治は疑いもなく我々の現代生活における1つの技術である。更に、それに専門的に従事する大人(政治家、党を運営し補助する人々)だけでなく、他の専門技術の場合と同様に、その時々に政治に参加し奉仕する人々(政府の官吏や労組の役員)が存在し、彼らにとっても政治の常用技術や知識は重要である。(同、p. 378)
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