バーク『フランス革命の省察』(5)保存と修正の原理
It is far from impossible to reconcile, if we do not suffer ourselves to be entangled in the mazes of metaphysic sophistry, the use both of a fixed rule and an occasional deviation, —the sacredness of an hereditary principle of succession in our government with a power of change in its application in cases of extreme emergency. Even in that extremity, (if we take the measure of our rights by our exercise of them at the Revolution,) the change is to be confined to the peccant part only, —to the part which produced the necessary deviation; and even then it is to be effected without a decomposition of the whole civil and political mass, for the purpose of originating a new civil order out of the first elements of society.
(自らが形而上学の詭弁の迷路に巻き込まれなければ、固定規則と偶発的逸脱の両方の効用、すなわち、我が政府における継承の世襲原則の神聖さと極度の緊急事態におけるその適用の変更権とを調和させることは、決して不可能ではありません。その極限状態においてさえも(革命時の権利行使によって我々の権利を見積もるならば)、変更は、病的な部分のみに、つまり必要な逸脱を生み出した部分に限定されるべきです。そしてその場合でも、社会の第一の要素から新しい国内の秩序を創造するために、すべての民間および政治集団を分解せずに、その変更は行われるべきです)― cf. 半澤訳、p. 29
The two principles
of conservation and correction operated strongly at the two critical periods of
the Restoration and Revolution, when England found itself without a king. At
both those periods the nation had lost the bond of union in their ancient
edifice: they did not, however, dissolve the whole fabric. On the contrary, in
both cases they regenerated the deficient part of the old Constitution through
the parts which were not impaired. They kept these old parts exactly as they
were, that the part recovered might be suited to them.
(保存と修正という2つの原理は、イングランドが国王のいない状態に陥った維新と革命の2つの危機的な時期に、強く作動しました。このどちらの時期にも、国民は古来の組織における団結の絆を失ってしまっていました。しかしながら、彼らはすべての組織を解体したのではありません。それどころか、どちらの場合も、古い憲法の欠陥部分を、欠陥のない部分によって再生させたのです。彼らは、回復した部分がそれらに適合するように、これらの古い部分をまさにそのまま維持したのです)― cf. 同
国を「保守」ことは、ただ今あるものを保存すればよいわけではない。1つの有機体である限り、国も「新陳代謝」が必要である。役目役割を終え、不要となったものは取り除き、逆に、足らざるもの、新たに必要となったものは取り入れる。時代に合わなくなったものは更新しなければならない。詰まり、「保守と修正」が相俟(ま)って真の「保守」と言えるのである。
改めなければならないことを、旧套墨守(きゅうとうぼくしゅ)していては、問題が肥大化してしまい、時として大改革が必要になる。が、変化が大きくなればなるほど、危険を伴うし、社会は混乱する。そういうことのないように、出来るだけ問題の芽は小さいうちに摘むことが肝要なのだ。
63 無為を為し
何もしないことをわがふるまいとし、かくべつの事もないのをわが仕事とし、味のないものを味わってゆく。
小さいものを大きいとして大切にし、少ないものを多いとして慎重に扱い、怨みごとに対して恩恵でむくいる。
むつかしいことは、それがまだやさしいうちによく考え、大きなことは、それがまだ小さいうちにうまく処理する。世界の難問題も、必ずやさしいなんでもないことから起こり、世界の大事件も、必ず小さなちょっとしたことから起こるものだ。それゆえ、聖人は決して大きなことをしたりはしない。だからこそ、その大きなことを成しとげられるのだ。(金谷治『老子』(講談社学術文庫)、p. 193)
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