バーク『フランス革命の省察』(7)「革命」の元の意味
The Revolution was made to preserve our ancient indisputable laws and liberties, and that ancient constitution of government which is our only security for law and liberty.
(革命は、我が国古来の議論の余地のない法と自由、および法と自由のための私達の唯一の保障である、古くからの統治構造を維持するためになされました)― cf. 半澤訳、p. 41
ここで言われている「革命」(the Revolution)は、英国の「名誉革命」である。
《すでに以前確立されたある地点に回転しながら戻る運動、つまり、予定された秩序に回転しながら立ち戻る運動…この言葉がこの意味で最初に用いられたのは、われわれが今日革命と呼んでいる事件がイングランドで起き、クロムウェルが最初の革命的独裁を樹立したときではなく、逆に、1660年、残余議会が打倒され、君主政が復古したときであった。これとまったく同じ意味で、この言葉は、1688年、スチュアート家が追放され、王権がウィリアムとメアリーに移ったときに用いられた。非常に逆説的なことであるが、この用語が政治的、歴史的な言葉としてはっきり定まった事件、すなわち「名誉革命」は少しも革命とは考えられず、君主の権力が以前の正義と栄光を回復したものと考えられたのである。(ハンナ・アレント『革命について』(ちくま学芸文庫)志水速雄訳、pp. 58f)
「革命」の元々の意味は、<物事が本来あるべき姿にあった古い時代に回転して戻ること>であった。
《「革命」という言葉がもともとは復古を意味し、したがって、われわれには革命のまったく正反対と思われる事柄を意味するという事実は、単なる意味論の遊びではない。実際、今日では新しい精神――近代の精神――の証拠をすべて示していると思われている17世紀と18世紀の革命は、復古をめざしていた。
なるほど、イングランドの内乱には、われわれが18世紀の革命における本質的に新しい事柄と結びつけて考えるようになった非常にたくさんの傾向が前兆としてあった。すなわち水平運動主義者(レヴェラーズ)の出現や、もっぱら下層階級の人びとからなる党の形成――そのラディカリズムは革命の指導者たちとあいいれなかった――は、フランス革命のコースをはっきりとさし示していた。そして、「正しい政府の基礎」として成文憲法をつくるべきだという要求が水平運動主義者によって提出され、それにたいしクロムウェルが護民官政治を樹立するため「政府の道具」を取り入れたとき、何とかその要求は満たされた。そしてこれはアメリカ革命の、もっとも重要な成果ではないにしろ、もっとも重要な成果の1つを予想させるものであった。
にもかかわらず、実をいえば、この最初の近代革命の短命な勝利は正式には1つの復古として、すなわち、1651年の国璽(こくじ)の銘刻文にあるように「神の加護により復活した自由」として理解されていた》(同、p. 59)
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