バーク『フランス革命の省察』(39)先入見

We fear God; we look up with awe to kings, with affection to Parliaments, with duty to magistrates, with reverence to priests, and with respect to nobility. Why? Because, when such ideas are brought before our minds, it is natural to be so affected; because all other feelings are false and spurious, and tend to corrupt our minds, to vitiate our primary morals, to render us unfit for rational liberty, and, by teaching us a servile, licentious, and abandoned insolence, to be our low sport for a few holidays, to make us perfectly fit for and justly deserving of slavery through the whole course of our lives.

(私達は、神を恐れます。私達は、国王には畏敬を、国会には愛情を、裁判官には敬意を、司祭には崇敬を、貴族には尊敬をもって仰ぎ見ます。何故か。何故なら、そのような観念が心に浮かぶと、そのように心動かされるのが自然だからです。他のすべての感情は偽りであり、私達の心を腐敗させ、私達の本来の道徳を損ない、私達を合理的自由には適さないものにする傾向があり、そして、隷属的で、勝手気儘で、破廉恥な横柄を私達に教えることによって、数日間の休日は低級な気晴らしとなるが、私達の全生涯を通して、私達を奴隷状態に完全に適応させ、正に奴隷に値するものにする傾向があるからです)― cf. 半澤訳、p. 110

 日本におけるバーク研究の第一人者・中川八洋氏は言う。

《バークが「偏見の哲学」を展開したのは、無神論を奉じて国王や貴族や政治家や聖職者への尊敬を喪失した革命フランスを、人格喪失の精神の腐敗と見抜き、自由の原理への破壊行為だと喝破し、この危険から英国を救おうとしたからだった。バークは、この革命フランスの新思想とは逆の、正しく健全な精神が「偏見」で形成されていることを洞察する》(中川八洋『正統の憲法 バークの哲学』(中公叢書)、p. 258

in this enlightened age I am bold enough to confess that we are generally men of untaught feelings: that, instead of casting away all our old prejudices, we cherish them to a very considerable degree; and, to take more shame to ourselves, we cherish them because they are prejudices; and the longer they have lasted, and the more generally they have prevailed, the more we cherish them.

(この啓蒙された時代において、私が敢えて認めますのは、私達が概して自然に会得した感情を持つ人間であることであり、私達のすべての古い先入見を捨て去らずに、可成りの程度それを大切にしているということです)― cf. 半澤訳、pp. 110f

 バーク保守哲学の1つの鍵となる言葉が、このprejudiceである。prejudiceは、pre(前の)judice(判断)ということであるが、日本語訳としては、ふつう、「先入観」や「偏見」が当てられる。また、バークのprejudiceは、中川氏のように「偏見」とされているものが大半である。が、preの部分を日本語にも生かし、私は「先入観」ないしは「先入見」を採用したい。先入観か先入見かは、一旦、好みの問題としておこう。

《バークの「偏見」とは、このように、神への畏怖、王への畏敬、聖職者への崇敬、貴族に対する尊敬、判事たちへの服従、……の「感情」のことを指す。それは狂った「妄想」の学説で洗脳される以前の、自然な「感情」のことである。この「偏見」に、バークは文明の人間が欠いては健全に生きていけない、2つの機能を発見している。第1は「偏見」にこそ「潜在する深遠な智恵」が宿っていること、第2は「偏見」によって、精神の腐敗と、道徳の損傷と、道理に適った自由からの逸脱、が防止されること》(中川、同)

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