バーク『フランス革命の省察』(40)先入見の再建

《理性を重視する啓蒙主義は、「能率な速断」に加えて先入見を排除しようとした。真理への道を閉ざすという理由からである。そして、先入見の信用をそのことによって完全に失墜させた。しかし、「あらゆる先入見の克服」という啓蒙主義の要求も、それ自体が1つの先見であり、それを「改めることが、我われの人間存在だけでなく、我われの歴史意識をも支配している有限性を適切に理解できる道を開くのである。」ガダマーはこのように述べて、先入見に対して、それにふさわしい地位を回復しようとしている》(岩野英夫『ハンス-ゲオルク・ガダマーの「哲学的解釈学」について』:『同支社法學』42巻1号、pp. 221f)

history does not belong to us; we belong to it. Long before we understand ourselves through the process of self-examination, we understand ourselves in a self-evident way in the family, society, and state in which we live. The focus of subjectivity is a distorting mirror. The self-awareness of the individual is only a flickering in the closed circuits of historical life. That is why the prejudices of the individual, far more than his judgments, constitute the historical reality of his being. -- Hans-Georg Gadamer, TRUTH AND METHOD, p.278

(歴史が我々に属しているのではなく、我々が歴史に属しているのである。我々が自己検証の過程を通して自分自身を知るずっと前に、我々は自分が生きている家族、社会、国家の中で自明の方法で自分自身を理解しているのである。主観の焦点は、歪んで見える鏡である。個人の自己認識は、歴史的な生の閉じた回路の中でちらちらと見えるだけである。だからこそ、個人の判断よりも、個人の先入見の方が、個人の存在の歴史的な現実を構成しているのである)―ガダマー『真理と方法』

 我々は歴史に属しているのであって、その逆ではない。したがって、我々の外にある原理を身に付けずして、我々は自分自身のことを理解することはできない。だから、我々は「先入見」「先入観」というものを大切にしなければならないのである。

Here is the point of departure for the hermeneutical problem. This is why we examined the Enlightenment's discreditation of the concept of "prejudice." What appears to be a limiting prejudice from the viewpoint of the absolute self-construction of reason in fact belongs to historical reality itself. If we want to do justice to man's finite, historical mode of being, it is necessary to fundamentally rehabilitate the concept of prejudice and acknowledge the fact that there are legitimate prejudices. – Ibid.

(ここに解釈学的問題の出発点がある。啓蒙主義が「先入見」という概念を疑うのを検討したのは、このためである。理性の絶対的な自己構築の観点からすると、制限的な先入見に見えるものも、実際には、歴史的現実そのものに属しているのである。人間の有限で歴史的な存在様式を正当に評価したいなら、先入見という概念を根本的に再建し、正当な先入見が存在するという事実を認めることが必要である)― 同

We are afraid to put men to live and trade each on his own private stock of reason; because we suspect that the stock in each man is small, and that the individuals would do better to avail themselves of the general bank and capital of nations and of ages.

(私達は、人間がそれぞれ自分の個人的な理性の在庫に基づいて生活し商売することを恐れます。何故なら、各人の在庫は小さく、個人は、国家や時代の一般的な銀行や資本を利用する方が良いと考えるからです)― cf. 半澤訳、p. 111

Many of our men of speculation, instead of exploding general prejudices, employ their sagacity to discover the latent wisdom which prevails in them. If they find what they seek, (and they seldom fail,) they think it more wise to continue the prejudice, with the reason involved, than to cast away the coat of prejudice, and to leave nothing but the naked reason; because prejudice, with its reason, has a motive to give action to that reason, and an affection which will give it permanence.

(現代の思索家の多くは、一般の先入見を論破するのではなく、その中に潜在する知恵を発見しようと頭を使う。もし彼らが自分たちが求めるものを見付けたら、(滅多に失敗しないが)、彼らは、先入見の上着を脱ぎ捨てて、残ったのは裸の理性だけというよりも、理性が織り込み済みの先入見を継続させる方が賢明だと考えているのです。何故なら、理性を伴った先入見には、その理性を働かせる理由と、理性を恒久不変なものとする偏見があるからです)― cf. 半澤訳、同

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