バーク『フランス革命の省察』(42)先入見の擁護

First I beg leave to speak of our Church Establishment, which is the first of our prejudices, — not a prejudice destitute of reason, but involving in it profound and extensive wisdom. I speak of it first. It is first, and last, and midst in our minds. For, taking ground on that religious system of which we are now in possession, we continue to act on the early received and uniformly continued sense of mankind.

(先ず、私達の先入見のうち第一のもの、すなわち、理性を欠いた先入見ではなく、広大深遠なる英知を内包する先入見である我が国の教会組織についてお話しすることをお許しください。私は、最初にこのことについてお話します。それは、私達の精神の最初にあり、最後にあり、中央にあります。というのは、私達が今所有しているあの宗教体系を基礎として、私達は、昔から受け入れられ、一様に継続して来た人間の感覚に基づいて行動し続けるからです)― cf. 半澤訳、p. 117

That sense not only, like a wise architect, hath built up the august fabric of states, but, like a provident proprietor, to preserve the structure from profanation and ruin, as a sacred temple, purged from all the impurities of fraud and violence and injustice and tyranny, hath solemnly and forever consecrated the commonwealth, and all that officiate in it.

(この感覚は、賢明な建築家のように、国家という壮大な構造を作り上げただけでなく、倹(つま)しい所有者のように、この構造を冒涜(ぼうとく)や破滅から守り、詐欺(さぎ)や暴力、不正や専制といったすべての不純物を排除した神聖な教会として、コモンウェルスとそこで職務を行うみんなを厳粛かつ永遠に聖別してきました)― cf. 半澤訳、同

 「先入見」(prejudice)を擁護し、その必要性を説くのがバークの立場である。

《バークによれば、偏見は、真の理性的な行動を保障するものと考えられた。また、「偏見は人間の徳行を、……非連続的な行為とせず、習慣的にする。正しい偏見によって、人間の義務は、その本性の一部となる。」とも考えられた。しかし偏見は、理性と英智との表現であるとしても、それは一体たれの理性であり、英智であるのか。バークは、「個人は愚かである。群衆は思慮なく行動しつづける限りにおいて、愚かである。しかし種族は賢明である。そして、時をかすならば、それは種族として、ほとんど常に正しく行動する。」と述べている。また…「諸国民や諸時代の銀行と貯蓄とを利用するのがよい。」と述べているところからして、それは祖先伝来の英智ないし、国民という集団の理性ないし英智を意味していると考えてよいであろう。かれが、「偏見は危急のときすぐ適用できる。」というとき、この偏見は、まさに歴史的に生長し来った国民の伝統的英智ないし集団精神を指し示すものであったと見てよい》(小松春雄『イギリス保守主義史研究』(御茶の水書房)、p. 256

 英哲学者デイヴィッド・ヒュームも「先入観」(prejudice)や「偏見」(byass)を擁護する。

There is another Humour, which may be observ'd in some Pretenders to Wisdom, and which, if not so pernicious as the idle petulant Humour above-mention'd, must, however, have a very bad Effect on those, who indulge it. I mean that grave philosophic Endeavour after Perfection, which, under Pretext of reforming Prejudices and Errors, strikes at all the most endearing Sentiments of the Heart, and all the most useful Byasses and Instincts, which can govern a human Creature. – David Hume, Of Moral Prejudices: MP 2, Mil 539

(知恵を詐称する人達に見られ、上に述べた意味の無い短気なユーモアほど悪質ではないにしても、それを甘受する人たちに非常に悪影響を与えるに違いない、もう1つのユーモアがある。先入観や誤りを改めるという口実で、すべての最も愛らしい心の感情や、人間という生き物を支配し得る、すべての最も有用な偏見や本能を打ち砕く、完璧を目指すあの由々しき哲学的努力のことである)―ヒューム『道徳的先入観について』

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