バーク『フランス革命の省察』(45)伝統の担い手

one of the first and most leading principles on which the commonwealth and the laws are consecrated is lest the temporary possessors and life-renters in it, unmindful of what they have received from their ancestors, or of what is due to their posterity, should act as if they were the entire masters; that they should not think it amongst their rights to cut off the entail or commit waste on the inheritance, by destroying at their pleasure the whole original fabric of their society: hazarding to leave to those who come after them a ruin instead of an habitation, — and teaching these successors as little to respect their contrivances as they had themselves respected the institutions of their forefathers. By this unprincipled facility of changing the state as often and as much and in as many ways as there are floating fancies or fashions, the whole chain and continuity of the commonwealth would be broken; no one generation could link with the other; men would become little better than the flies of a summer.

(コモンウェルスと法が捧(ささ)げられている第1の最も主要な原則の1つは、コモンウェルスの一時的な所有者や終身賃借人が、先祖から受け取ったもの、後世に与えられるべきものを知らずに、恰(あたか)も自分が全体の主人であるかのように振る舞わないようにせよということです。彼らは、自分たちの社会の元の構造全体を好き勝手に破壊することによって、すなわち、彼らの後を継ぐ人々に居住地の代わりに廃墟を残す危険を冒し、自分たち自身が先祖の制度を尊重しなかったのと同じくらい、この後継者たちに自分たちの考案物を尊重しないように学ばせながら、限嗣(げんし)相続を断ち切ったり、相続財産を浪費したりすることが、自分たちの権利の1つだなどと考えてはならないということです。変動する空想や流行のように、何度も、いくらでも、様々な方法で、節操なく安易に国家を変えることで、コモンウェルスの連鎖と連続性はすべて断ち切られ、世代と世代繋がることなく、人は殆ど一夏(ひとなつ)の蠅(はえ)にすぎなくなってしまうでしょう)― cf. 半澤訳、p. 121

 我々は、先人から多くのものを受け継ぐ。我々には相続の権利がある。が、相続すると同時に、我々は、受け取ったものを後人(こうじん)に伝達する義務が生まれる。先人の成果の恩恵に与ることが出来る代わりに、後人も同じ恩恵に与れるよう、その成果を譲り渡さなければならない。決して、先人の成果を自分たちの世代が消尽してしまうようなことがあってはならないのである。

 このことは、物質的なものだけにとどまらない。文化や伝統といった精神的なものも、現役世代が勝手な判断で先人の「精華(せいか)」を消去するなどということは許されない。伝統や慣習に抗(あらが)ってはならないと言いたいのではない。時代にそぐわぬところは部分的に改めればよい。が、決して全体を抹消しようなどと考えてはならないのである。

The usefulness of such a passion is various. For one thing it secures us against forced admiration, from attending to writers simply because they are great. We are never at ease with people who, to us, are merely great. We are not ourselves great enough for that: probably not one man in each generation is great enough to be intimate with Shakespeare. Admiration for the great is only a sort of discipline to keep us in order, a necessary snobbism to make us mind our places. 

We may not be great lovers; but if we had a genuine affair with a real poet of any degree we have acquired a monitor to avert us when we are not in love. Indirectly, there are other acquisitions: our friendship gives us an introduction to the society in which our friend moved; we learn its origins and its endings; we are broadened. We do not imitate, we are changed; and our work is the work of the changed man; we have not borrowed, we have been quickened, and we become bearers of a tradition. -- T. S. Eliot, Reflections on Contemporary Poetry

(このような情熱の有用性は多様である。1つには、単に作家が偉大であるからということで、その作家に関心を向け、強制的に賞賛させられることを防いでくれることである。我々は、自分たちにとって、ただ偉大である人達と一緒にいて、落ち着くことは決してない。我々自身そのことにとって十分偉大ではない。おそらく、シェイクスピアと親密になれるほど偉大な人物は、各世代に1人もいないだろう。偉大な人々への賞賛は、我々を秩序正しく保つための一種の規律であり、自分の立場を弁(わきま)えるために必要な俗物根性であるに過ぎない。

我々は偉大な恋人にはなれないのかもしれない。しかし、もし本物の詩人と如何なる程度であれ心からの関係を築けたなら、恋をしていないときに我々を避けるための忠告者を手に入れたことになる。間接的には、他にも得るものがある。我々の友情は、その友人が行動していた社会を紹介する。我々は、その社会の起源と終焉(しゅうえん)を知る。我々は広げられる。我々は模倣しない。我々は変化するのだ。そして、我々の業績は変化した人の業績であり、我々は借りたのではなく、我々は息吹(いぶき)を与えられたのであり、我々は伝統の担い手となるのである)―T・S・エリオット『同時代詩の考察』

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