バーク『フランス革命の省察』(51)君主制への接ぎ木
But admitting democracy not to have that inevitable tendency to party tyranny which I suppose it to have, and admitting it to possess as much good in it when unmixed as I am sure it possesses when compounded with other forms; does monarchy, on its part, contain nothing at all to recommend it? I do not often quote Bolingbroke, nor have his works in general left any permanent impression on my mind.
(しかし、民主主義には、私がそこに有ると思う党派的専制への必然的傾向がないことを認め、他の形式と組み合わされたとき有ると思われるのと同じくらいの善が混じり気のないときにもそこに有ると認めるにしても、君主制の側には、推奨すべきものが全く何もないのでしょうか。私はボーリングブロークをあまり引用しませんし、彼の著作全般が私の心に深く刻まれているわけでもありません)
He is a
presumptuous and a superficial writer. But he has one observation which in my
opinion is not without depth and solidity. He says that he prefers a monarchy
to other governments, because you can better ingraft any description of
republic on a monarchy than anything of monarchy upon the republican forms. I
think him perfectly in the right. The fact is so historically, and it agrees well
with the speculation.
(彼は、烏滸(おこ)がましく軽薄な作家です。しかし思いますに、彼には、深みと堅実さがなくはない意見が1つがあります。彼は、共和制形態に君主制の何かを接ぎ木するよりも、君主制に何らかの共和制を接ぎ木する方がうまくいくから、君主制の方を他の統治よりも好むと言います。彼は全く正しいと思います。事実、歴史的にそうでありましたし、考察ともよく合致しています)
このことは、時と所を変え、我が日本において例証されている。日本には万世一系の皇室の伝統がある。この伝統に民主主義を継いだのが、「民本主義」であった。天皇が在位する日本は紛う方無き「君主国」である。これに西洋産の民主主義を接ぎ木したのが「民本主義」というものであった。
《民本主義といふ文字は、日本語としては極めて新しい用例である。從來は民主主義といふ語を以て普通に唱へられて居つたやうだ。時としては又民衆主義とか、平民主義とか呼ばれたこともある。然(しか)し民主主義といへば、社會民主黨(とう)などゝいふ場合に於(お)けるが如く、「國家の主權は人民にあり」といふ學說と混同され易い。又平民主義といへば、平民と貴族とを對立(たいりつ)せしめ、貴族を敵にして平民に味方するの意味に誤解せらるるの恐れがある。獨(ひと)り民衆主義の文字丈(だ)けは、以上の如き缺點(けってん)はないけれども、民衆を「重んずる」といふ意味があらはれない嫌(きらい)がある。われわれが視て以て憲政の根柢と爲(な)すところのものは、政治上一般民衆を重んじ、其(その)間に貴賤上下の別を立てず、而(し)かも國體(こくたい)の君主制たると共和制たるとを問はず、普(あまね)く通用する所の主義たるが故に、民本主義といふ比較的新しい用語が一番適當(てきとう)であるかと思ふ》(吉野作造「憲政の本義を説いて有終の美を濟す途を論ず」:『吉野作造博士
民主主義論集 第1巻 民本主義論』(新紀元社刊)、pp. 28f)
《洋語のデモクラシーといふ言葉は、今日實(じつ)はいろ々々の異つた意味に用ひらるる。予輩の所謂(いわゆる)民本主義は、勿論此(この)言葉の譯語(やくご)であるけれども、此(この)原語をいつでも民本主義と譯するのは精確でない。デモクラシーなる言葉は、所謂民本主義という言葉の外(ほか)に更に他の意味にも用ひらるゝことがある。予輩の考ふるところに依(よ)れば、この言葉は今日の政治法律等の學問上に於(おい)ては、少なくとも2つの異つた意味に用いられて居るように思う。1つは「國家の主權は法理上人民にあり」という意味に、またモ1つは「國家の主權の活動の基本的の目標は政治上人民に在るべし」という意味に用ひらるゝ。この第2の意味に用ひらるゝ時に、我々はこれを民本主義と譯するのである》(同、pp. 30f)

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