バーク『フランス革命の省察』(53)善と悪
To hear some men speak of the late monarchy of France, you would imagine that they were talking of Persia bleeding under the ferocious sword of Thamas Kouli Khân, — or at least describing the barbarous anarchic despotism of Turkey, where the finest countries in the most genial climates in the world are wasted by peace more than any countries have been worried by war, where arts are unknown, where manufactures languish, where science is extinguished, where agriculture decays, where the human race itself melts away and perishes under the eye of the observer. Was this the case of France? I have no way of determining the question but by a reference to facts. Facts do not support this resemblance.
(人々がフランスの後期君主制について話すのを聞くと、トーマス・クーリ・ハーンの凶暴な剣の下で血を流すペルシャについて話しているのか、あるいは、少なくとも、世界で最も温暖な気候の、最も素敵な国々が、戦争で苦しめられてきた如何なる国よりも、平和で荒廃し、芸術が知られず、製造が衰え、科学が消え、農業が衰退し、観察者の眼前で人類そのものが徐々に消え失せるトルコの野蛮な無政府的専制について説明しているのかと思ってしまうでしょう)― cf. 半澤訳、pp. 160f
Along with
much evil, there is some good in monarchy itself; and some corrective to its
evil from religion, from laws, from manners, from opinions, the French monarchy
must have received, which rendered it (though by no means a free, and therefore
by no means a good constitution) a despotism rather in appearance than in
reality.
(多くの悪と相俟(ま)って、君主制自体に幾らか善があります。そして、その悪を矯正する手段を、宗教、法、慣習、意見から、フランスの君主制が受け取っていた筈(はず)で、(決して自由ではなく、したがって決して良くない国制)フランス君主制を、現実よりもむしろ外観上専制政治にしたのです)―
cf. 半澤訳、p. 161
ゲーテは、善と悪について、次のように描写する。
ファウスト
併(しか)し君達のは名を聞くと、
大抵本體(ほんたい)が讀(よ)める。
蠅の神、殘(そこな)ふ者、偽る者などゝ云へば、
はつきり知れ過ぎるではないか。
そんなら好(よ)い。一體君はなんだ。
メフイストフエレス
常に惡を欲し、
却(かえっ)て常に善を爲す、彼力の一部です。
ファウスト
ふん。その謎めいた詞(ことば)の意(こころ)は。
メフイストフエレス
わたしは常に物を否定する靈(れい)です。
そしてそれが至當(しとう)です。なぜと云ふに、
一切の生ずるものは滅しても好いものです。
して見れば、なんにも生ぜぬに如(し)くはない。
かうしたわけで、あなた方が罪惡だの、
破滅だの、約(つづ)めて言へば惡と仰やるものは、
皆わたしの分内(ぶんない)の事です。
(ゲーテ「ファウスト 第1部」書齋:1331-1344:『鷗外全集 翻譯篇 第1巻』(岩波書店)、pp. 114f)
メフィストフェレスが言う、「常に悪を欲し、却って常に善を為す」とはどういう意味だろうか。メフィストフェレスは、自分は<常に物を否定する霊>だと言う。そして、<一切の生じるものは滅しても好い>のだから、何も生じないに越したことはない、と言うのである。これはまさしく「虚無主義」(nihilism)である。
我々は、何かが生まれることに善を見、滅びることに悪を見がちである。が、何かが生まれることで悪が生じるのだとすれば、それが滅びることは善であるということにもなる。詰まり、何かが生まれることで悪もまたそこに生まれ、その何かが滅びることで悪もまた滅びるのであれば、それは善であるという逆説もまた成り立つということである。
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