バーク『フランス革命の省察』(57)ラピュータの民

漂流中のガリヴァーを助けたのが、巨大な「空飛ぶ島」ラピュータである。が、ラピュータの民は、どこか「風変わり」である。

《上に着くや否や、忽(たちま)ち人だかりに囲まれてしまった。すぐ近くにいた数人の者は、どうやら上流階級の者らしかった。いかにも驚嘆したような様子をはっきり現わして私をじろじろ見ていた。こちらだって、驚嘆する点にかけては先方に劣るものではなかった。恰好(かっこう)も衣服も顔つきも、とにかく奇妙で、こんな種族をこれまで見たことがなかったからである。

どの人間の頭も、右か左に傾いていた。一方の眼は内側に向いていて、他方の眼は真っ直ぐ天に向いていた。体にまとっている衣裳は、太陽と月と星の意匠で飾られ、それらの意匠の間に、提琴(フィドル)、横笛、竪琴、喇叭(らっぱ)、ギター、ハープシコードの他、ヨーロッパのわれわれには見当もつかない多種多様な楽器の意匠がちりばめられていた。

あちらこちらに、下男(げなん)の服装をした男たちも数多くいたが、その連中は、手に手に、殻竿(からかさ)のような恰好をした、先端にふくらんだ膀胱(ぼうこう)をくっつけた短かい棒をもっていた。この膀胱の内部には少しばかりの乾いた豆か石粒が入れられていた(但し、これは後で分ったことだ)。見ていると、それらの下男らしい連中は、この膀胱で自分たちの横に立っているお偉方の口と耳を時折叩いていた。

なぜこんなことをするのか、当座はさっぱり意味がのみ込めなかった。どうやら、お偉方の心は深い思索にいつも沈潜しがちなので、ものを言う器官と聴く器官を適当に外部の者に叩いて刺戟してもらわない限り、ものを言うことも、他人の言っている言葉に耳を傾けることもできないらしかった。

そんなわけで、資力のある連中は、家の雇人の1人として叩き役(原語ではクリメノールという)を雇うことにしているのだそうだ。この男が傍(そば)についていてくれないと、外出することも他人の家を訪問することもできないのである。叩き役の役目というのは、2人乃至(ないし)それ以上の人間が集まっている場合、喋る方の人間のロを例の膀胱で静かに叩いてやることであり、話しかけられている側の人間(時には複数だが)の右の耳を同じく静かに叩くことなのだ。主人の外出の際にお伴をして、細心の注意を払ってお仕えするのも、この叩き役の仕事である。

時と場合によっては、主人の眼の上をそうっと叩くこともある。いつも深い瞑想に耽(ふけ)っているので、深い穴があれば片っ端から落ち、柱があれば片っ端から頭をぶっつけ、街頭を歩けば他人をぶっ飛ばすか、逆にぶっ飛ばされて溝にはまる危険がつきものだったからだ》(ジョナサン・スウィフト『ガリヴァー旅行記』(岩波文庫)平井正穂訳:第3篇 第2章:pp. 219f



 彼らは、自分の世界に生きており、周りが見えていないのである。

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