バーク『フランス革命の省察』(64)時効の概念
With the National Assembly of France possession is nothing, law and usage are nothing. I see the National Assembly openly reprobate the doctrine of prescription, which one of the greatest of their own lawyers tells us, with great truth, is a part of the law of Nature. He tells us that the positive ascertainment of its limits, and its security from invasion, were among the causes for which civil society itself has been instituted. If prescription be once shaken, no species of property is secure, when it once becomes an object large enough to tempt the cupidity of indigent power.
(フランス国民議会にとって、所有権は無価値であり、法律や慣習も無価値である。国民議会は、貴国の法律家の中で最も偉大な1人が、大いなる真理で、自然法の一部であると説く、時効の原則を公然と非難しておられます。彼は、実定的に時効の限界を確認し、時効が侵害されることから守ることが、民営社会そのものが制定された理由の1つであったと説きます。時効が一度(ひとたび)揺らげば、如何なる類の財産も、窮乏した権力の貪欲を唆(そそのか)すのに十分大きなものとなるや、安全ではなくなるのです)―
cf. 『フランス革命の省察』半澤訳、p. 190
バークは、別のところでも、
our
Constitution is a prescriptive Constitution; it is a Constitution, whose sole
authority is, that it has existed time out of mind. – Edmund Burke, Speech
on the Reform of the Representation of the Commons in Parliament
(我国の国制は時効の国制です。唯一の権威は、太古から存在してきたということである国制です)―バーク『国会下院選挙制度改革に関する演説』
Your King,
your Lords, your Judges, your Juries, grand and little, all are prescriptive;
and what proves it, is, the disputes not yet concluded, and never near becoming
so, when any of them first, originated. Prescription is the most solid of all
titles, not only to property, but, which is to secure that property, to
Government. – Ibid.
(皆さんの王、皆さんの領主、皆さんの裁判官、皆さんの大小の陪審員、すべてが時効です。それを証明するのは、これらのどれかが最初に発生したとき、まだ結論が出ておらず、そうなりそうにもなかった紛争です。時効は、財産に対するだけでなく、その財産を政府に対して保証するための、すべての権限の中で最も強固なものなのです)―
同
とも言っている。
ここで、英国思想史家レズリー・スティーヴンの解説を見てみよう。
105 This doctrine of prescription is susceptible
of, and received in the hands of Burke, two very different interpretations.
Stated crudely, it resembles but too closely the doctrine of all obstructive
politicians. It is a version of the saying, 'Whatever is, is right’; the
consecration of the absolute immobility, and the antithesis of a belief in
progress. --;Leslie Stephen, The History of English Thought in the Eighteenth Century, Vol.2
(この時効の原理は、2つの異なる解釈を受け容れる余地があり、バークの手中に収められた。ざっくりと言えば、すべての妨害的な政治家の原則にまさに酷似し過ぎてているのである。それは、「あるものは何でも正しい」という格言の一種であり、絶対不動の聖別であり、進歩信仰のアンチテーゼである)―スティーヴン『18世紀英国思想史』
果たしてバークは、「あるものは何でも正しい」という考え方だったのだろうか。成程、「あるものは何でも正しい」などと言えば、因循守旧(=旧習を守って改めようとしないこと)のように受け取られるに違いない。が、バークの言う「時効」とは、現民法にも言われるところの「取得時効」ということであり、一定期間所有し続けたことをもって所有権を認めようということに他ならない。
現在在るものには、何がしかの由緒来歴があり、それを尊重することなく、ただ頭の中だけで正しいだの間違っているだのと勝手な判断をすることは生者の驕(おご)りだということである。
バークは、生まれながらにして人間には権利があるなどと主観的な権利を主張するのではなく、幾世代にも亙って受け継がれ大切にされてきたものこそが客観的に「権利」と言うに相応しいと考えた。それがバークの「時効」の概念なのだと思われる。
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