バーク『フランス革命の省察』(67)有機体としての国家
《バークの学説の弱い面であるこの点にも依然多くの知恵と雄弁が漲(みなぎ)っていて、それがこの有能な擁護者を自分の仲間として誇りえた政治家連中から彼を区別する点となっている。しかし時効の教説にはもう1つ別の一層高貴な意義を持つ側面がある。バークは国家をば複雑な機構と歴史的連続性を備えた生きた有機体として把える物の見方を確実に身につけていた。この時代のすべての政治的考察を損ったものはほかならぬこの種の概念の欠如にほかならなかった。彼はすでに政治学の純粋に機械論的見方からも、また純粋に数学的見方からもひとしくこえ出ていた。立憲主義者流の方法も抽象的理論家連中の方法もいずれも彼にとっては取るにたらぬものであり、この「時効」という用語は――不運な曖昧さを帯びてはいるが――これらの連中によって等しく見落された要素をバークが認識していたことを物語るものである》(L・スティーヴン『十八世紀イギリス思想史 下』(筑摩叢書)中野好之訳、p. 107)
バークは、国家を<複雑な機構と歴史的連続性を備えた生きた有機体>として見るがゆえに、「革命」などという極端な「外科手術」を好まなかった。手術はあくまでも患者の体力に見合ったものでなければならない。詰まり、患部をすべて取り除けば健康になれるなどというような話にはならないということである。
西部邁氏は言う。
《「保守思想のエッセンス」とは非常に簡単なもので、つぎの3つから成立しております。1つは、「社会はorganic(有機的)な性質を持っている」ということです。社会は、mechanic(機械的)、機械的に設計されるものではなく、歴史のなかでおのずと生長してくる、相互依存の有機体的な関係だということです。
2つは、「人間の認識も社会の変化も、漸進的なものであるし、そうでなければならない」というものです。急激で大がかりな変化を起こすと、個人も社会も存立の根拠を失う、と考えるという意味での漸進主義(gradualism)です。
3つには、懐疑主義(skepticism)です。これは言葉通りの「疑う」という意味ではなくて、「人間が考えることは誤謬を含んでいる」、「完全な真理に到達することはありえない」とみるということです。人間は何らかのアイデア、プラン、アクションで変革を起こすほかないのだが、その根底をなす自らの認識そのものが不完全を免れえないので、そのことに懐疑を抱けば、そう簡単に「自分の理想や計画や活動に飛びつくわけにはいかないだろう」ということです。
「社会についての有機体説」、「変化についての漸進主義」「認識についての懐疑主義」、このtriade(三幅対(さんぷくつい))が保守思想なのです》(西部邁『焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)のすすめ』(ミネルヴァ書房)、p. 128)
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