バーク『フランス革命の省察』(68)複雑な機構の漸進的変更

《語の絶対的な意味においてはこの時効という概念はもちろんあらゆる行為を認証する論理となろう――例えばアメリカにおけるイギリス的圧制も、本国におけるイギリス的自由もまったく同列に。しかしバークがこの「時効」への訴えかけの中で示そうとしたことは、人間の思想と本能はその九割九分までが彼らの父祖から受けついだものであり、従って社会の唐突な改組という意味での改革はもともと不可能事に属し、従ってそれは複雑な機構の漸進的変更という意味においてのみ理解されうるという事実にほかならない》(L・スティーヴン『十八世紀イギリス思想史 下』(筑摩叢書)中野好之訳、p. 107)

 社会が歴史の積み重ねの上に成り立っていることを鑑(かんが)みれば、これを「革命」と称して一朝にして変革しようなどと考えること自体があまりにも傲岸不遜(ごうがんふそん)に過ぎるということだ。非現実的な妄想を膨らませて、社会を急激に変革しようとすれば、結局、社会を破壊するだけに終わるであろう。社会を改善する方法は、社会が複雑怪奇なものである限り、やってみなければ結果が見えないのであるから、「漸進的」に調整しつつ事を進めていかなければならない。

《この意味における時効は、現存の社会的機構はすべて特定の必要にもとづいて発展してきたものであり、そしてそれはある特定の力が機能するところの様式にほかならず、従ってこれを唐突に廃棄することは致命的損害を世に惹き起こす恐れがあり、少なくともかかる行為は軽率で非科学的な切開手術に類するという推定にもとづくのである》(同)

 科学的であろうとなかろうと、安易に切開手術を施そうとすること自体が問題だと言うべきであろう。現在の支配者を一掃しても、新たな支配者が出て来るだけである。問題は現在の支配者だけにあるのではないという極当たり前の認識に至らなければ、間違った切開手術を行うことにしかならない。

《堅固な政治的国家制度は何世代にもわたる成長の結果であり、従ってそれは社会の構造の隅々まで行き渡っているはずである。それは個々人を互いに結びつけるいっさいの私的関係の調和的運用を確保するものでなければならない。従ってその特定部分が旧式なものにならぬようわれわれは常に最大限の注意を払う義務を負う以上、ある理論的先人見にもとづいてこの体系を切り刻もうとする企てはもっとも軽率な行為といわざるをえない》(同、pp. 107f

 合理主義に基づく考え方は、優れて観念的であり、これを現実に当て嵌めてもうまくいくわけがないという当たり前のことに気付かぬ人達が、「革命」という言葉に気触(かぶ)れて暴走するのである。

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