バーク『フランス革命の省察』(83)精神の平衡術

《歴史を離れたところに純粋合理というまったくの虚構を設定し、それにもとづいて無制限に変化に飛びつこうとするのは合理的自由にすぎない。この種の自由を正当化するためには、歴史と無縁なところで形づくられる――仮にそんなことが可能だとして――人間の変化へのプログラムが完全である、もしくは完全なものに近い、というこれまたまったくの虚構をおくしかない。

実際そのようにして進歩主義の思想と実践が西欧において急進的に開始されたのであったが(フランス革命がその典型だ)、それと踵(きびす)を接するようにして急進主義に抵抗する流れが、つまり漸進主義の流れが始まりもしたのである。この西欧におけるいわば歴史の二重性をみずに、その表面のみを純化したのが旧ソ連であり、それを拡大したのがアメリカであり、そしてそのアメリカ流を純化したのが戦後日本ということになるであろう》(西部邁『リベラルマインド』(学研)、pp. 75f)

 フランス革命は、制動装置が壊れた暴走機関車の如く暴動がその極に達した出来事であった。直ぐ様(すぐさま)、この急進主義に対して批判が起こり、「漸進主義」がこれを掣肘(せいちゅう)する形で、急進主義と漸進主義が平衡することとなった。が、ソビエトは、漸進主義を切り離し、急進主義へと走った。「ロシア革命」である。一方、米国は、フランス革命の標語たる「自由・平等」そして「人権」を急進的変革に繋げるのではなく、政治的に利用する形をとった。

 戦後日本はと言えば、敗戦によって、「自由・平等・平和・人権」という米国政治の上澄み液を押し付けられたのであった。が、この観念は、心に浸み入ることなく、精神の表層をただ上滑りしているだけのように思われる。

《第2に、西欧が漸進主義に傾いたのは、単に人間の不完全性を認識したからだけではなく、人間のうちに容易ならざる二律背反(つまり分裂)の可能性をみてとったからである。秩序と自由の関係がまさにそれである。この二律背反に耐えられなければ、秩序の過剰としての抑圧がもたらされたり、自由の過剰としての放縦(ほうじゅう)が結果される。

秩序と自由のあいだにおける平衡術こそが要求されるわけだが、それが薄っぺらな技術的合理などによって提供されるわけがない。個人の人生において随処に噴出してくる分裂の危機、そして集団の制度において随処に発生してくる分解の危険、それを何とか平衡させるに当たっても「伝統」に大きく依拠するほかない。

 なぜなら、歴史はそのような危機を孕(はら)みながらもかくも長きにわたって持続してきたからだ。つまり歴史の持続という何の変哲もないようにみえる事実のなかにいわば「人間存在の二律背反性に耐えるための精神の平衡術」が隠されているのだ。そしてその平衡術を現代世代も身につけようとすれば、可能な変化に拙速に着手する急進主義から距離をおいて、それらの変化の可能性のうちに果たして平衡の知恵と衝突しないものがどれだけあるかを検討してかからなければならない。それが、いきおい、漸進主義の態度に傾くことを要請するのである》(西部邁『リベラルマインド』(学研)、pp. 76f

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