バーク『フランス革命の省察』(82)漸進主義
If I might venture to appeal to what is so much out of fashion in Paris, —I mean to experience, —I should tell you, that in my course I have known, and, according to my measure, have coöperated with great men; and I have never yet seen any plan which has not been mended by the observations of those who were much inferior in understanding to the person who took the lead in the business.
(敢えてパリではひどい流行遅れのこと(経験ということですが)に訴えても構わないのであれば、お話します。私は、自らの歩みの中で、偉大な人物を知り、自らの尺度に従って、協同したことがあります。そして、この事業を先導する人よりずっと理解力が劣る人々の判断によって修正されなかった計画を、私は未だ1つも見たことがありません)― cf. 半澤訳、pp. 214
By a slow, but well-sustained
progress, the effect of each step is watched; the good or ill success of the
first gives light to us in the second; and so, from light to light, we are
conducted with safety through the whole series. We see that the parts of the
system do not clash. The evils latent in the most promising contrivances are
provided for as they arise. One advantage is as little as possible sacrificed
to another. We compensate, we reconcile, we balance. We are enabled to unite
into a consistent whole the various anomalies and contending principles that
are found in the minds and affairs of men. From hence arises, not an excellence
in simplicity, but one far superior, an excellence in composition.
(ゆっくりではあっても、十分長く進み続けることによって、一歩一歩の結果が観察されます。一歩目の良し悪しが次の歩に光を射します。そうして光から光へと、私達は、一連のことすべてを通して安全に導かれていきます。私達は、手順の部分部分が衝突しないことが分かります。最も有望な仕組みに潜む弊害は、発生すると共に対処されます。1つの利点が別の利点の犠牲になることは僅かです。私達は、補い、調和させ、均衡をとります。人の精神や事柄に見られる様々な異常や対立する原理を、一貫した全体として纏め上げることが出来るようになります。ここから、単純さにおける卓越性ではなく、はるかに優れたもの、構成における卓越性が生まれるのです)― cf. 半澤訳、p. 214
未知の世界は、暗闇のようなものである。そこには、僅かに足下を照らす微(かす)かな光があるだけである。先が見えないのであるから、ゆっくり一歩一歩進むしかない。しっかり足下を確認しながら歩を進めて行く。このような漸進(ぜんしん)的態度が、行く先の見えない社会変革にも必要だというのがバークの主張なのである。
問題があれば、すぐ対処する。変革の速度がゆっくりであれば、問題も大きなものとはならないから、修正することも難しくない。軌道修正することも簡単であるし、場合によっては、元に戻ることも出来る。
社会は複雑に絡んだ有機体であるから、変革を少し進めただけでも、どのような反応が起こるのかは、前もって十分に予測することは不可能である。だから、一歩一歩調整し均衡を図りながら変革を進めることが肝要となるのである。
《西欧には、イギリスのようにそれを社会制度として定着させるにまでは達しなくても、グラデユアリズムつまり漸進主義の重要性を理解する思想の潮流がある。その思想が、一部の知識人によって確保されているだけでなく、一般庶民の生活のなかにも然り気(さりげ)なく影を落としているといってよい。またそうであればこそ、西欧には保守的の精神風土が何ほどか維持されているのであり、それが都市・農村の景観、各社会階層の暮らしぶりにおける儀式性、(階級間)社会移動の閉鎖性などの形で現われているのである》(西部邁『リベラルマインド 歴史の知恵に学び、時代の危機に耐える思想』(学研)、p. 74)
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