バーク『フランス革命の省察』(83)持続と時間の効果

《西欧の漸進(ぜんしん)主義を単に変化における量的な小ささのことととらえてはならない。それは第1に、人間の不完全という冷厳な認識にもとづいている。つまり知性としても徳性としても不完全さを免れえないものとしての人間は、みずからの創造しうる変化のなかにも不完全さをみてとらざるをえない。そして(変化を選ばないということも含めた)数ある変化のなかからどれをどの程度選択するかという段になったとき、効率にかかわる合理的計算も参加にもとづく公衆の議論も必要であろうが、むしろその計算・議論のなかに「歴史の知恵」あるいは「伝統」を生かそうと構えるのである》(西部邁『リベラルマインド』(学研)、p. 74)

 人間は、神ではない。だから、「不完全さを免れ得ない」。「完成されることがない」と言ってもよい。一人間に考えられることなど高が知れている。だからこそ、様々な経験が織りなす歴史の知恵を参照し、伝統に棹(さお)差して、漸進的に物事を判断し、進めていくべきだということである。

《何が伝統であるか、それを見極めるのは困難であるが、西欧の漸進主義はデユレイションつまり「持続性」を持つ人間の振る舞い方、あるいはプレスクリブションつまり「時間の効果」を有する人間の考え方にはそれなりに考慮に値する知恵が秘められている、少くともその可能性が高い、と踏んだ。またそれゆえに、知恵ある人間の生き方を内包しているかもしれない慣習の体系を変化させることにおいて漸進的であらざるをえないということになったのである》(同、pp. 74f

 今在るものを尊重し、これを持続しようと構える。が、それだけでは、時代状況にそぐわなくなったものも頑(かたく)なに守るだけになってしまう。変えるべきは変える。そうでなければ、持続しない。その意味で、保守主義は、保存と修正の連合だと言えるのである。

 過去から受け継がれて来たものを尊重し、一定期間継続して来たことをもって「権利」と見做す、それが「(取得)時効」という考え方である。換言すれば、「権利」には、過去の承認が必要だという考え方である。

《過去から伝えられた慣習が現在の合理的基準からみて一見したところ非合理なものに映ろうとも、その合理性の基準そのものが何らかの前提の上に打ち立てられたものである。そしていかなる前提から合理を出発させるのが妥当かを論議するとなると、そのアジェンダの中心に「持続」や「時効」の要素が登場するとみなした。それがいわば歴史的合理の観点であり、それを採用するならば、「変化への自由」も歴史的合理によって撃肘(せいちゅう)されるものとしての歴史的自由となるほかない。(同、p. 75

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