バーク『フランス革命の省察』(91)先入見無き貧困
In that general territory itself, as in the old name of Provinces, the citizens are interested from old prejudices and unreasoned habits, and not on account of the geometric properties of its figure. The power and preëminence of Paris does certainly press down and hold these republics together as long as it lasts: but, for the reasons I have already given you, I think it can not last very long.
(古い地名のように、領土それ自体全体に、国民は、図形の幾何学的特性からではなく古い先入見や不合理な習慣から、関心を持っているのです。パリの権力と卓越は実際、確かにそれが続く限り、これらの共和国を抑え付け繋ぎ止めますが、私がすでにお話した理由から、それはあまり長続きしないと思います)― cf. 半澤訳、pp. 249f
「先入見」は、郷土と人を精神的に関連付け、結び付ける「絆」であり、「紐帯」(ちゅうたい)である。先入見なしに、郷土を愛する心も生まれない。
《外部からのあらゆる影響力のうち、もっとも微妙で、しかももっとも広範に浸透してくる力は、ステレオタイプのレパートリーをつくり、それを維持するような力である。われわれは自分で見るより前に外界について教えられる。経験する前にほとんどの物事を想像する。そして教育によってはっきりと自覚させられないかぎり、こうしてできた先入観が知覚の全過程を深く支配する。
そうした先入観は、対象となる物事をなじみのものとか、知らないものとかいうように分類する。その差が誇張されるので、ちょっとでも知っていればひじょうになじみ深いものと考えられ、どこか知らないところがあればまったく異なるものと見られることになる。そうした先入観はちょっとした記号によって呼びさまされる。記号といっても、ほんとうにそのものを示すものから、ぼんやりと似ているだけというものまでさまざまである》(W.リップマン『世論(上)』(岩波文庫)掛川トミコ訳、pp. 123f)
先入見がなければ、知覚は無機的にならざるを得ない。目に見えるもの、耳に聞こえるもの、肌に触れるものすべてが新奇で、特別な意味を持たない。歴史や文化から寸断され、何かがただそこに在るだけである。
《いったん呼びさまされた先入観は、新たに内に捉えた映像を古いイメージで満たし、記憶によみがえってきたものをその世界に投影する。もし外界に実際上似通った例がないならば、物を見るために先入観を受け入れるという人間の習慣には経済性どころではなく誤りだけが生じるであろう。しかし正確といってよいほどの類型がいろいろと存在し、注意力の節約が求められている以上、まったく無色透明のまま物事を経験するためだからといってあらゆるステレオタイプを放棄すれば、人間生活を貧しくすることになるであろう》(同、p. 124)
「平等」とは、個人にであれ社会にであれ偏在する富を「水平化の鋭い鎌」(キルケゴール)に掛けて平準化することである。このことによって、余剰の富は失われ、みんなが平等に貧しくなるのである。
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