ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(105)最も大きな民衆の声による指名

There can be no doubt that it is just this play-element that keeps parliamentary life healthy, at least in Great Britain, despite the abuse that has lately been heaped upon it. The elasticity of human relationships underlying the political machinery permits it to "play", thus easing tensions which would otherwise be unendurable or dangerous -- for it is the decay of humour that kills. We need hardly add that this play-factor is present in the whole apparatus of elections. -- J. HUIZINGA, Homo Ludens

(少なくとも英国では、最近山ほど浴びせられた雑言にもかかわらず、議会生活が健全に保たれているのは、このような遊びの要素のお陰であることに疑いの余地はありません。政治機構の根底にある人間関係の弾力性は、そこに「遊び」を許すことで、さもなければ耐えられない、あるいは、危険であろう緊張を和らげるのです。というのは、命を奪うのはユーモアが衰えたときだからです。この遊びの要素が、選挙という装置全体に存在することは、最早付け加えるまでもありません)―ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』、cf. 高橋訳、p. 343

 車を安全に運転するために、ハンドルに「遊び」があるように、政治にも命の取り合いにならないように「遊び」の部分が必要だということである。

In American politics it is even more evident. Long before the two-party system had reduced itself to two gigantic teams whose political differences were hardly discernible to an outsider, electioneering in America had developed into a kind of national sport.

The presidential election of 1840 set the pace for all subsequent elections. The party then calling itself Whig had an excellent candidate, General Harrison of 1812 fame, but no platform. Fortune gave them something infinitely better, a symbol on which they rode to triumph: the log cabin which was the old warrior's modest abode during his retirement.

Nomination by majority vote, i.e. by the loudest clamour, was inaugurated in the election of 1860 which brought Lincoln to power. The emotionality of American politics lies deep in the origins of the American nation itself: Americans have ever remained true to the rough and tumble of pioneer life. There is a great deal that is endearing in American politics, something naive and spontaneous for which we look in vain in the dragoonings and drillings, or worse, of the contemporary European scene. – Ibid.

(米国の政治では、更に一層明白です。二大政党制が、政治的な違いが部外者には殆ど分からない2つの巨大な組に成り下がるずっと前から、米国では選挙活動が一種の国民的競技にまで発展していました。

1840年の大統領選挙は、その後のすべての選挙の模範となりました。当時ホイッグと呼んでいた政党は、1812年に名を挙げたハリソン将軍なる優秀な候補者を擁していましたが、綱領がありませんでした。幸運にも、遥かによいもの、勝利へと導いた象徴、老戦士が隠居生活をしていた、最も慎(つつ)ましやかな丸太小屋を手に入れることが出来たのです。

リンカーンが政権に就いた1860年の選挙では、多数決、詰まり、最も大きな民衆の声による指名が開始されました。米国の政治が感情的であるのは、米国の起源自体に深く関係しています。米国人は、開拓時代の苦楽浮沈に忠実であり続けてきました。米国の政治には、人の心を引き付ける偉大なもの、現代ヨーロッパで見られる武力による迫害や訓練やもっと邪悪なものが、探せど探せど見当たらない、どこか素朴でおおらかなところがあります)―同、cf. 高橋訳、p. 344

 が、<最も大きな民衆の声>が雌雄(しゆう)を決する政治が危険であることははるか昔からずっと言われてきたことだ。

《政治学の出発点をなす古代アテネでのソクラテスやプラトンの議論は、デモクラシーがオクロクラシーに陥ることほぼ必定(ひつじょう)という心配についてであった。つまり民衆政治はオリガキー(寡頭政治)やプルトクラシー(金権政治)などを通じて最後にはタイラント(専制君主)をもたらすに至る、つまり独裁政治に帰着する、ということについてであったのだ。

 その出発点を見失わなければ近代および現代のデモクラシーが古代アテネの顛末(てんまつ)をなぞっていることについてもすぐ洞察できたに相違ない。要するにデモクラシーは、独裁者をもたらすかもしくは衆愚のポピユラリティ(人気)にほぼ完全に左右される、といった哀れな結末に辿り着く。というより世界各国にそうした衆愚政治が現実のものとなって高く頭をもたげているのである。

 W・チャーチルが「デモクラシーは最悪の政治より少し良いだけの制度にすぎない」といったことが高く評価されている。しかし僕にいわせればそんな言辞は的を外れている。デモクラシーはディクテーターシップ(独裁制)に対置されるべきものではない。シーザーやナポレオンに始まりヒットラーやスターリンを経て習近平やD・トランプに至るまで、すべて民衆の拍手喝采によって、ということはデモクラシーが頂点に達したことの結果として、独裁制へと(民主主義的な手続きを通じて)転化したのである。だから「デモクラシーは最悪の政治制度に転じる可能性まことに大なり」といわなければならないのである》(西部邁『保守の遺言』(平凡社新書)、pp. 25f



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