アダム・スミス「公平な観察者」について(16)「同感」という言葉
カントに話題が逸(そ)れてしまったので、佐伯氏の解説を再掲する。
《まず「想像上の境遇の交換」が前提としてある。その上で「他人の諸情念を、その対象にとって完全に適合的なものとして是認することは、われわれはそれに完全に同感すると述べるのと等しい」のである。私が飢えているとき、隣人を縛り上げて食べ物を奪うという行為は、決して、先験的に不道徳なのではない》(佐伯啓思『アダム・スミスの誤算』(PHP新書)、pp. 61f)
食べなければ死ぬという状況において、他者の食べ物を奪って食べることは、必ずしも「不正行為」とは言えないのかどうか。似たような事件に、裁判官の山口良忠氏が、敗戦後の食糧難の時代に、闇市の闇米を拒否して食管法に沿った配給のみを食べ続けたために、栄養失調で餓死した事件があった。死んでも守らなければならない法律など果たして存在するのかという問題だ。法律とは、人々が社会において円滑な生活を営むために守るべき根本規範であるのだから、それを守れば死んでしまうような法律など法律の趣旨に反するということだ。
《「同感」とは「想像の上で他者の境遇に身をおく」ことであるが、ここで次のことに注意しておかねばならない。私が、その行為を対象化して「想像の上で他者の境遇に身をおく」ときには、この「わたし」は、欲望に突き動かされて相手に働きかける「わたし」ではない。ここで「わたし」は、行為する「わたし」をいわば観察しているのである。私は「観察するわたし」と「行為するわたし」に分かれているはずなのである。さもなければ、私が「想像の上で相手の境遇に身をおく」ことはできないだろう。だが、実際にはこれは難しいことである。情念に突き動かされているその瞬間に「行為するわたし」から「観察するわたし」を分離させることなど果たしてできるのだろうか。とすれば実際には、私は、私の行為を道徳的かどうか判断することなどできないだろう》(同、p. 62)
少し言葉の問題にこだわってみたい。スミスの言うsympathyとは、pathy(感情)をsym(共に)するということである。Longman Dictionary of
Contemporary English を引くと3つの定義が見られる。
1. the feeling of being sorry for someone
who is in a bad situation(逆境にある人を気の毒に思う気持ち)
2. belief in or support for a plan, idea,
or action, especially a political one(計画、考え、行動、特に政治行動の信条や支持)
3. a feeling that you understand someone
because you are similar to them(似た者同士だから、相手が理解できるという感覚)
差し詰め、1が「同情」、2が「共鳴」、3が「共感」に当たるだろうか。問題は、水田洋氏が『道徳感情論』(筑摩書房)内で用いている「同感」という訳語である。「同感」という言葉は、基本的に「~に同感だ」という形で用いられる。
その点ではあなたにまったく同感です。I completely [totally]
agree with you on that point. ― ジーニアス和英辞典 第3版
私はあなたと同感です。I agree with you. / 《書》I am of the same opinion as you. / 《書》I am
of your opinion. / (共鳴する)I sympathize with your
opinion. / I feel you the same way (as you do). ― ウィズダム和英辞典 第2版
したがって、sympathyは「同感」とするよりも、状況に応じて「同情」、「共鳴」、「共感」とする方が適切なのではないかと思うである。
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