投稿

12月, 2022の投稿を表示しています

ザ・フェデラリスト(7)安全と自由の平衡の難しさ

A man must be far gone in Utopian speculations who can seriously doubt that, if these States should either be wholly disunited, or only united in partial confederacies, the subdivisions into which they might be thrown would have frequent and violent contests with each other. To presume a want of motives for such contests as an argument against their existence, would be to forget that men are ambitious, vindictive, and rapacious. To look for a continuation of harmony between a number of independent, unconnected sovereignties in the same neighborhood, would be to disregard the uniform course of human events, and to set at defiance the accumulated experience of ages. -- Federalist No. 6 Concerning Dangers from Dissensions Between the States: Alexander Hamilton (万一これらの州が完全に分裂されるか、部分的な連合にだけ統合されたとしても、これらの州が投げ込まれるかもしれない下位区分が、しばしば互いに激しく争い合うと本気で思えない人は、ユートピア思想に酔い痴れているに違いありません。このような争いの動機がないことを、争いが存在することに対する反論と考えることは、人間が野心的で、執念深く、強欲であることを忘れているのでしょう。同じ近隣にある、幾つかの独立した、繋がりのない主権者の間に調和が存続することを期待することは、...

ザ・フェデラリスト(6)自由

Should the people of America divide themselves into three or four nations, would not the same thing happen? Would not similar jealousies arise, and be in like manner cherished? Instead of their being "joined in affection" and free from all apprehension of different "interests," envy and jealousy would soon extinguish confidence and affection, and the partial interests of each confederacy, instead of the general interests of all America, would be the only objects of their policy and pursuits. Hence, like most other BORDERING nations, they would always be either involved in disputes and war, or live in the constant apprehension of them. -- The Federalist Papers (1787-88): FEDERALIST 5 The Same Subject Continued: Concerning Dangers from Foreign Force and Influence: by John Jay (仮にアメリカの人々が自らを3つか4つの国に分割したら、同じことが起こるのではないでしょうか?類似の嫉妬心が芽生え、同じように抱(いだ)かれることになるのではないでしょうか?彼らが「愛情で結ばれ」、異なる「利益」に対するあらゆる不安から解放される代わりに、妬(ねた)みや嫉(そね)みがすぐに自信と愛情を消し去り、全米の一般的利益ではなく、各連合の部分的利益が彼らの政策と追求の唯一の目...

ザ・フェデラリスト(5)参照すべきは英国史

whatever may be our situation, whether firmly united under one national government, or split into a number of confederacies, certain it is, that foreign nations will know and view it exactly as it is; and they will act towards us accordingly. If they see that our national government is efficient and well administered, our trade prudently regulated, our militia properly organized and disciplined, our resources and finances discreetly managed, our credit re-established, our people free, contented, and united, they will be much more disposed to cultivate our friendship than provoke our resentment. -- The Federalist Papers (1787-88): FEDERALIST 4 The Same Subject Continued by John Jay (我国の状況がどのようなものであれ、 1 つの国家政府の下に固く団結していようと、幾つかの連合体に分裂していようと、確かなのは、外国はあるがままそれを見知り、それに応じて我国に対して行動するということです。もし彼らが、我国の政府が効率的で十全に運営され、我国の貿易が手堅く規制され、我国の民兵が適切に組織されて訓練され、我国の資源と財政が慎重に管理され、我国の信用が再確立され、我国の人民が自由に、満足し、団結していることが解れば、我々の憤りを引き起こすより、友情を育む気にずっとなるでしょう)― フェデラリスト4:同じ課題の続き:ジョン・ジェイ QUEEN ANNE, in her letter of th...

ザ・フェデラリスト(4)安全と幸福の平衡

イメージ
《95 すでに述べたように、人間は生来、すべて自由であり、平等であり、独立しているのだから、だれも自分から同意を与えるのでなければ、この状態から追われて、他人の政治的な権力に服従させられることはありえない。人がその生来の自由を放棄し、市民社会の拘束を受けるようになる唯一の方法は、他人と合意して1つの共同社会に加入し、結合することであるが、その目的は、それぞれ自分の所有物を安全に享有し、社会外の人に対してより大きな安全性を保つことをつうじて、相互に快適で安全で平和な生活を送ることである》(ジョン・ロック「統治論」:『世界の名著27』(中央公論社)大槻晴彦訳:第8章 政治社会の起原について、p. 252) ☆ ☆ ☆ It has until lately been a received and uncontradicted opinion, that the prosperity of the people of America depended on their continuing firmly united, and the wishes, prayers, and efforts of our best and wisest citizens have been constantly directed to that object. But politicians now appear, who insist that this opinion is erroneous, and that instead of looking for safety and happiness in union, we ought to seek it in a division of the States into distinct confederacies or sovereignties. -- The Federalist Papers (1787-88): FEDERALIST 2 Concerning Dangers from Foreign Force and Influence by John Jay (最近までずっと、米国民の繁栄は、それらが強固に結束し続けることに掛かっているというのが、一般に受け入れられている、議論の余地のない意見であり、我...

ザ・フェデラリスト(3)国民の自然権の一部を政府へ移譲する必要

イメージ
Nothing is more certain than the indispensable necessity of government, and it is equally undeniable, that whenever and however it is instituted, the people must cede to it some of their natural rights, in order to vest it with requisite powers. -- The Federalist Papers (1787-88): FEDERALIST 2 Concerning Dangers from Foreign Force and Influence by John Jay (政府が必要不可欠だということ以上に確かなものはありませんし、政府がいつ、どのように設立されようと、国民は、必要な権限を付与するために、国民の自然権の一部を政府に譲らねばならないことも、同様に否定できません)―『フェデラリスト・ペーパーズ』:フェデラリスト2 外力・影響力による危険について ジョン・ジェイ  これはまさにトマス・ホッブズやジョン・ロックの流れを汲む「社会契約説」である。 《人々が外敵の侵入から、あるいは相互の権利侵害から身を守り、そしてみずからの労働と大地から得る収穫によって、自分白身を養い、快適な生活を送ってゆくことを可能にするのは、この公共的な権力である。この権力を確立する唯一の道は、すべての人の意志を多数決によって1つの意志に結集できるよう、一個人あるいは合議体に、かれらの持つあらゆる力と強さとを譲り渡してしまうことである。  ということは、自分たちすべての人格を担う一個人、あるいは合議体を任命し、この担い手が公共の平和と安全のために、何を行ない、何を行なわせようとも、各人がその行為をみずからのものとし、行為の本人は自分たち白身であることを、各人が責任を持って認めることである。そして、自分たち個々の意志を彼の意志に従わせ自分たちの数多くの判断を彼の1つの判断に委ねる。  これは同意もしくは和合以上のものであり、それぞれの人間がたがいに契約を結ぶことによって、すべての人間が一個の同じ人格に真に結合されることである。その方...

ザ・フェデラリスト(2)光と影の平衡

イメージ
政府の活動力と実効性とを高めんとする賢明な熱意すら、実は専制権力を好む、自由の諸原理に反する考え方の所産なのであるとの汚名を着せられることもあろう。また他方では、人民の諸権利に対する危険を過度に憂慮する態度も、それは通常は心情における誤りというより頭脳における誤りなのだが、見せかけだとか、芝居だとか、公共の善を犠牲にした陳腐な人気取り策にすぎないとかいって非難されることもあろう。(『ザ・フェデラリスト』(岩波文庫)斎藤眞・中野勝郎訳:第1篇 ハミルトン、pp. 18f)  政府が力を持ち過ぎれば「専制」となる。一方で、人民が力を持ち過ぎるのも「ポピュリズム」に堕ち込んでしまう。肝要なのは、政府と人民の力の平衡ということである。日本であれば、平衡の指針となる歴史伝統がある。が、米国のような歴史なき新興国において、この平衡をとるために綱渡り師が手に持つ「平行棒」となるものは存在しない。その意味で、ハミルトンの苦労が並み大抵なものでなかっただろうことは想像に難くない。 そして一方では、熱烈な愛には嫉妬が伴うのが常であり、自由への高貴な熱意も偏狭な不信の精神に侵されがちなものだということが忘れられることになろう。(同、 p. 19 )  物事には何であれ、光が射せば、当然そこには影が生じるということである。ここでもまた、光と影を如何に平衡させるのかが課題となるということである。 他方では、政府の活力は自由の保障のために不可欠であること、確かな慎重な判断に従えば両者の利害は本来分離しえないものであること、強固にして効率的な政府を熱望する一見厳しい外見よりも、むしろ人民の諸権利を標榜するもっともらしい仮面のかげに、かえって危険な野心が潜んでいることが、同じく忘れられることになろう。 歴史の教えるところでは、後者〔人民の友といった仮面〕のほうが、前者〔強力な政府権力〕よりも、専制主義を導入するのにより確実な道であった。そして共和国の自由を転覆するにいたった人びとの大多数は、その政治的経歴を人民への追従から始めている。すなわち、煽動者たることから始まり、専制者として終わっているのである。(同)  個人の自由は、社会秩序が保たれていればこそ保障される。したがって、自由の保障のためには活力ある政府が不可欠だということである。自由主義において、活力ある政府は、本来...

ザ・フェデラリスト(1)【新連載】

今回は、保守思想における必読の書とされる『ザ・フェデラリスト』を読んでいく。※ federalist:連邦主義者 米政治思想史随一の古典と呼び称される『ザ・フェデラリスト』は、やや特殊な書と言えるだろう。本書は、アレグザンダー・ハミルトン、ジョン・ジエイ、ジェイムズ・マディソンの共著である。著者が 3 名であるのは、本書が、各著者が新聞紙上に別個に発表した85篇の論文を集めたものだからである。  米歴史家のリチャード・B・モリスは、「憲法における比類の無き解説論文であり、後世のどの米作家の作品によっても、幅広さと底深さの両面において勝るもの無き政治学の古典」( ”The Forging of the Union” )だと本書を絶賛する。  イギリスから独立した13の植民地は、当初は独立国家の連合を形成していたが、連邦憲法により国家連合でもなく単一国家でもなく、その中間ともいうべき連邦国家を形成することになった。仏政治思想家のアレクシ・ド・トクヴィルは、「連邦は小国のように自由で幸福であり、大国のように輝かしく力強い」( ” De la démocratie en Amérique” )と米国連邦制を称している。 ☆ ☆ ☆ AFTER an unequivocal experience of the inefficiency of the subsisting federal government, you are called upon to deliberate on a new Constitution for the United States of America. The subject speaks its own importance; comprehending in its consequences nothing less than the existence of the UNION, the safety and welfare of the parts of which it is composed, the fate of an empire in many respects the most interesting in the world. It has been frequently remarked that...

バーク『フランス革命の省察』(103)【最終回】手本とすべきは英国国制

To make a government requires no great prudence. Settle the seat of power, teach obedience, and the work is done. To give freedom is still more easy. It is not necessary to guide; it only requires to let go the rein. But to form a free government, that is, to temper together these opposite elements of liberty and restraint in one consistent work, requires much thought, deep reflection, a sagacious, powerful, and combining mind. (政府を作るのに、慎重さは大して必要ありません。権力の座に就き、服従を学ばせれば終わりです。自由を与えることは、ずっと簡単です。指導する必要はありません。必要なのはただ手綱(たずな)を放すことだけです。しかし、自由な政府を形成する、すなわち、これら自由と抑制の相反する要素を加減調整し、1つの首尾一貫した作品にするためには、熟考、沈思、賢明で力強い結合精神が必要なのです)― cf. 半澤訳、 p. 311 The improvements of the National Assembly are superficial, their errors fundamental.  Whatever they are, I wish my countrymen rather to recommend to our neighbors the example of the British Constitution than to take models from them for the improvement of our own. In the former they have got an invaluable treasure. They are not, I think, without some ca...

バーク『フランス革命の省察』(102)良き秩序は好事の基礎

Experience is with me, and, I believe, the best opinions also. To keep a balance between the power of acquisition on the part of the subject and the demands he is to answer on the part of the state is the fundamental part of the skill of a true politician. The means of acquisition are prior in time and in arrangement. (経験は私と共にあり、最良の意見でもあると思います。臣民の側で獲得する権限と、国家の側で答えるべき要求との間の均衡を保つことは、真の政治家が持つ腕前の基本的な部分です。獲得の財産が、時間的にも、配列的にも優先されます)― cf. 半澤訳、 p. 309 Good order is the foundation of all good things. To be enabled to acquire, the people, without being servile, must be tractable and obedient. The magistrate must have his reverence, the laws their authority. The body of the people must not find the principles of natural subordination by art rooted out of their minds. They must respect that property of which they cannot partake. They must labor to obtain what by labor can be obtained; and when they find, as they commonly do, the success disproportioned to the endeavor, they must be taught thei...

バーク『フランス革命の省察』(101)革命による財政悪化

the prosperity and improvement of nations has generally increased with the increase of their revenues; and they will both continue to grow and flourish as long as the balance between what is left to strengthen the efforts of individuals and what is collected for the common efforts of the state bear to each other a due reciprocal proportion, and are kept in a close correspondence and communication. (国家の繁栄と向上は、一般にその歳入の増加とともに増大し、個人の努力を強化するために残されたものと、国家の共同努力のために集められたものとの均衡が、互いに適切な相互比率を有し、緊密な対応と連絡で保たれている限り、両者は成長し繁栄し続けるでしょう)― cf. 半澤訳、 p. 289  国家の繁栄と発展には、個人が使えるお金と政府が使えるお金の均衡を如何に保つのかが問われるのである。その均衡がどこからくるのかと言えば、それは歴史伝統的なものであると言うしかないだろう。が、革命を起こしてしまえば、この均衡点を探る手立てを失い、混乱を招くことは避けられない。 I find, by a report of M. Vernier, from the Committee of Finances, of the second of August last, that the amount of the national revenue, as compared with its produce before the Revolution, was diminished by the sum of two hundred millions, or eight millions sterling, of the annual income, —considerably more tha...

バーク『フランス革命の省察』(100)自然の摂理に反する時効は存在しない

They find, that, by the laws of Nature, the occupant and subduer of the soil is the true proprietor, —that there is no prescription against Nature, —and that the agreements (where any there are) which have been made with the landlords during the time of slavery are only the effect of duresse and force, —and that, when the people reëntered into the rights of men, those agreements were made as void as everything else which had been settled under the prevalence of the old feudal and aristocratic tyranny. They will tell you that they see no difference between an idler with a hat and a national cockade and an idler in a cowl or in a rochet. (彼らは、自然の法則では、土地の占有者と支配者が真の所有者であり、自然の摂理に反する時効は存在せず、奴隷の身分の時代に地主と結ばれた(どんな)協定(であれある場合)は、強迫と力の結果に過ぎず、人々が再び人間の権利を得ると、それらの協定は、古い封建的で貴族的専制政治が優勢な状態で結ばれた他のあらゆるものと同様に無効とされたことを知るのです。彼らは、帽子と国の花形帽章の怠け者と、カウルとロシェトゥムの怠け者との間に何の違いもないと言うでしょう)― cf. 半澤訳、 p. 283  成程、自然の摂理に反対する「時効」はない。が、自然の摂理に沿った「時効」なら存在する。否、代々同じ状態が受け継がれてきたものを肯定することからしか物事は始まらない。何であれ過去を一旦継承した上で、何か問題があればこれを変...

バーク『フランス革命の省察』(99)人間の権利の二重基準

Burke, and conservatives generally, have seen that almost all of the will to resist, that is commonly claimed to result from inner knowledge of natural rights or from inner instincts to freedom, results instead from prejudices slowly built up historically in a people’s minds: prejudices about religion, property, national autonomy and long-accustomed roles in the social order. These, not abstract rights, are the motive powers in the struggles of peoples for freedom which we honor. -- Robert Nisbet, Conservatism : Prejudice and Reason (バークや保守派は一般に、自然権についての内的知識や、自由への内的直観から生じると一般に主張される抵抗の意志の殆どすべてが、むしろ人々の心の中で歴史的にゆっくりと蓄積された先入見、すなわち、宗教、財産、国民自治、社会秩序における長年の習慣的役割に関する先入見から生まれたものであることが分かっていたのである。抽象的な権利ではないこの先入見が、私達が敬意を払う自由を求める人々の闘いの原動力なのです)―ニスベット『保守主義』 ☆ ☆ ☆ In what chapter of your code of the rights of men are they able to read that it is a part of the rights of men to have their commerce monopolized and restrained for the benefit of others? As the colonists rise on you, the negroes rise on...

バーク『フランス革命の省察』(98)文治の術を無くした政治

When such matters are in deliberation, it is no extravagant supposition that they will incline to the opinion most favorable to their pretensions. They will not bear to be deemed the army of an imprisoned king, (このような問題を検討するにあたって、兵士が自分たちの主張に最も有利な意見に傾くと考えることは大袈裟なことではありません。彼らは投獄された国王の軍隊と見做されることに我慢ならないのです)― cf. 半澤訳、 pp. 279f  投獄されてしまった国王に対する忠誠が希薄化するのも無理はない。かといって新たな主君がすぐに見付かるはずもない。だから兵士たちの心は揺れ動き、浮遊する。 Everything depends upon the army in such a government as yours; for you have industriously destroyed all the opinions and prejudices, and, as far as in you lay, all the instincts which support government. Therefore the moment any difference arises between your National Assembly and any part of the nation, you must have recourse to force. Nothing else is left to you, —or rather, you have left nothing else to yourselves. (あらゆることが、貴方方のような政府では、軍隊次第になります。というのは、貴方方は、政府を支えるすべての意見と先入見、そして可能な限りすべての直観を破壊することに精出してきたからです。したがって、国民議会と国民の何らか部分との間に何らかの争いが生じた瞬間、貴方方は武力に頼らざるを得ないのです。それ以外に、貴方方には何も残されていませ...

バーク『フランス革命の省察』(97)忠誠なき兵士たち

If the soldiers once come to mix for any time in the municipal clubs, cabals, and confederacies, an elective attraction will draw them to the lowest and most desperate part. With them will be their habits, affections, and sympathies. The military conspiracies which are to be remedied by civic confederacies, the rebellious municipalities which are to be rendered obedient by furnishing them with the means of seducing the very armies of the state that are to keep them in order, —all these chimeras of a monstrous and portentous policy must aggravate the confusion from which they have arisen. There must be blood. The want of common judgment manifested in the construction of all their descriptions of forces, and in all their kinds of civil and judicial authorities, will make it flow. Disorders may be quieted in one time and in one part. They will break out in others; because the evil is radical and intrinsic. (もし兵士たちが、如何なる時間の間でも、自治体のクラブや陰謀団、同盟に一度出入りするようになれば、選挙の魅力によって、彼らは最も低俗で自暴自棄な部分に引き込まれる...

バーク『フランス革命の省察』(96)権力に服従した裁判官

These if they submit to, they leave no ground of law to the subject. They become complete and most dangerous instruments in the hands of the governing power, which, in the midst of a cause, or on the prospect of it, may wholly change the rule of decision. If these orders of the National Assembly come to be contrary to the will of the people who locally choose those judges, such confusion must happen as is terrible to think of. For the judges owe their place to the local authority, and the commands they are sworn to obey come from those who have no share in their appointment. In the mean time they have the example of the court of Châtelet to encourage and guide them in the exercise of their functions. That court is to try criminals sent to it by the National Assembly, or brought before it by other courses of delation. (これらにもし彼らが服従すれば、この問題に法が入り込む余地はなくなります。彼らは、大義の最中(さなか)か、あるいは、それを見込んで、決定規則を完全に変更するかもしれない統治権力の手中にある完全かつ極めて危険な道具と化すのです。もし国民議会のこういった命令が、それらの裁判官を現地で選ぶ人々の意思に反することになれば、考えるだに恐ろしいよう...

バーク『フランス革命の省察』(95)革命が生んだ独裁

If the parliaments had been preserved, instead of being dissolved at so ruinous a change to the nation, they might have served in this new commonwealth, perhaps not precisely the same, (I do not mean an exact parallel,) but near the same purposes as the court and senate of Areopagus did in Athens: that is, as one of the balances and correctives to the evils of a light and unjust democracy. Every one knows that this tribunal was the great stay of that state; every one knows with what care it was upheld, and with what a religious awe it was consecrated. (もし議会が、国家を破滅させるような変革によって解散させられずに維持されていたならば、この新しいコモンウェルスにおいて、おそらくアテネにおけるアレオパゴス法廷や元老院と瓜二つではない(そっくりということではない)が、ほぼ同じ目的に適(かな)った、詰まり、軽率で不公平な民主主義の弊害を釣り合わせ、矯正するのに一役買ったかもしれません。この法廷がその国家を大いに抑制するものであったことは誰もが知っています。それがどれほど注意して維持され、如何に宗教的畏敬の念をもって聖別されていたのかも誰もが知っていることです)― cf. 半澤訳、 p. 262  歴史に「もし」はないのだけれども、もし議会が存続していたら、民主主義の勝手放題を少しは止めることも出来たのではないかという反省である。 It would have been prudent, along with the parliaments, to preserve their ancient power of r...

バーク『フランス革命の省察』(94)権力の分散と独立

They possessed one fundamental excellence: they were independent. The most doubtful circumstance attendant on their office, that of its being vendible, contributed, however, to this independency of character. They held for life. Indeed, they may be said to have held by inheritance. Appointed by the monarch, they were considered as nearly out of his power. The most determined exertions of that authority against them only showed their radical independence. (彼らは、根本的に卓越したものを1つ保有していました。彼らは独立していたのです。しかしながら、彼らの職務に付随する最も疑わしい状況、すなわち、売却可能であるという状況は、この地位の独立に寄与していました。彼らは生涯保有しました。実際、彼らは相続によって保有したと言えるかもしれません。君主によって任命された彼らは、君主の権力から殆ど離れていると考えられていました。たとえその権力が彼らに対して最も断固に働きかけたとしても、彼らの根本的な独立性が示されただけでした)― cf. 半澤訳、 p. 261  フランス革命は、モンテスキュー言うところの「権力分散」をも破壊してしまったのである。 They composed permanent bodies politic, constituted to resist arbitrary innovation; and from that corporate constitution, and from most of their forms, they were well calculated to afford both certainty and stability to the laws. They had b...

バーク『フランス革命の省察』(93)現実を知る空想家たち

リップマンは、bias(偏見)を prejudice(先入見)と使い分けている。 《実際の世の中では、証拠の出るずっと以前に、そうした判断が真の判断とされることが多い。そして証拠が必ずや確認するはずの結論を、その判断自体のなかに含んでいるのである。このような判断には、正義も、慈悲も、真実も入り込むことはない。なぜならこの判断は証拠に先行してしまっているからである。 しかし考えてためになるようなどんな文明のなかにも、さまざまな偏見をもたない国民、まったく中立的な見解に立つ国民が存在するということはとても考えられないので、そのような理想を土台として教育体系を打ち建てることは不可能である。偏見は看破することもできるし、無視してかかることもできるし、改善することもできる。しかし時間に限りある人間は、広大な文明と関わるための準備を短い学校教育の中に凝縮しなければならない。  そのような状態である以上、人びとは心に描いた文明像をずっと持ちまわらねばならず、偏見を持つということになる。彼らの思考と行動の質の如何は、そうした偏見が好意的なものであるか、つまり、ほかの人びとに好意的か、ほかの考え方に好意的かどうかにかかっている。あるいはそうした偏見が、自分たちが善と考えているものにおさまりきれないものに対する憎しみを呼びきますのでなく、積極的に善と感じられるものに対する愛を呼びきますかどうかにかかっている》( W. リップマン『世論(上)』(岩波文庫)掛川トミコ訳、 pp. 163f ) ☆ ☆ ☆ Such a body kings generally have as a council. A monarchy may exist without it; but it seems to be in the very essence of a republican government. It holds a sort of middle place between the supreme power exercised by the people, or immediately delegated from them, and the mere executive. Of this there are no traces in your Constitution...

バーク『フランス革命の省察』(92)先入見と偏見

《そこで問題となるのは、ステレオタイプの性格と、それを使いこなすわれわれの融通のきかない馬鹿正直さである。結局、こうした問題はわれわれの人生哲学をつくっているさまざまの包括的パターンによって左右される。もしその人生哲学の中で、世界はわれわれの持っている規範に従って体系化されていると想定しているならば、たぶんわれわれは何が起こっているかを報告するときに、そのような規範によって動かされている1つの世界を語ることになるであろう。しかし、われわれの哲学が、それぞれの人間は世界の小さな一部分にすぎないこと、その知性はせいぜいさまざまな観念の粗い網の中に世界の一面と要素の一部しか捉えられないのだと語るとしたらどうだろう。  そうすれば自分のステレオタイプを用いるとき、われわれはそれがたんなるステレオタイプにすぎないことを知り、それらを重く考えずに喜んで修正しようとするだろう。また、いつわれわれの思考が始まったのか、どこで始まったのか、どのような具合にしてわれわれの頭に生じ、それをなぜわれわれは受け入れたのかを、さらにもっと明確に悟るようになる。この意味で、ためになる歴史というものは一切腐るものではない。そうした歴史によって、どんなおとぎ話が、どんな教科書が、どんな伝統が、どんな小説が、劇が、絵が、言葉が、この頭にはこの先入観を、あの頭には別の先入観を、植えつけたかを、われわれは知ることができる》( W. リップマン『世論(上)』(岩波文庫)掛川トミコ訳、 pp. 124f ) ☆ ☆ ☆ Your all-sufficient legislators, in their hurry to do everything at once, have forgot one thing that seems essential, and which, I believe, never has been before, in the theory or the practice, omitted by any projector of a republic. They have forgot to constitute a senate, or something of that nature and character. Never, before this time, wa...